社長ブログ

社長フィロソフィー日記

社内か社外か。

セミナーを多く開催し、社員教育の必要性や個人面談などを通じて「社員に寄り添う」ことを推奨している当社の僕が言うのもなんだけど、当社では、社内的にはほとんど研修や個人面談、ましてや人事評価を行なっていない。当社の社員が研修が必要がないほど優秀だとか、個人面談を行うほど社員を大事にしてないとか、公正な人事評価を行わないほど旧態依然でブラックだと言うことは全くないのだが、それでも社外に言うことと、実際に当社で行っていることが真反対に見えることはなかなか説明が難しい。

社内での僕の理屈はこうである。人材は経験で磨かれる。当社は無茶振りとも思われる仕事や、セミナー開催などの外に向けた利他的な業務、個別案件やトラブルに対する判断に当社の考え方が表れている。かしこまって座学で勉強するよりも、実際の仕事を通じて「当社の考え方・仕事の進め方」、「社会人としての成長」が実現出来ると言うことである。

とは言っても、以心伝心というのも難しい。数十人くらいなら社内の雰囲気で何が筋が良くて何が悪いのかは伝わってくるが、段々社員が増えてきてまた世代が異なる人たちが混在してくると、やはり何か分かり易い目安の様なものを示す必要性も出てくる。

一般的な企業では、経営に余裕が出てくると社員研修、人事評価などを明文化・標準化し、役員・社長面談という形でかなり時間と労力を掛けて個々の社員に寄り添っていく。それはそれで必要なことだと思うけど、社内にそれだけエネルギーを掛けること自体がどうも踏み切れない。理想の職場とは、そもそも価値観が似ていて、お互いに謙虚にして驕らず、利他的な目的のために自らが努力が出来る人たちだけが集まっていれば、社内の調整や教育や寄り添いなどはあまり必要がない場所だと思う。

まあそんな理想的な集団はなかなかないので、よほど目についたことやこれはあかんなと思うこと、当社の考え方として筋が悪いなというものは個別に指摘することにはしている。それでも社内よりは世の中に対して、目の前の個別案件や顧客に対して99%の力を割り当てる(社内は1%)会社でありたいとは思っています。

オリンピック選手への批判に思うこと。

パリ・オリンピックはよく観ていて、毎日熱くなって観戦している。激戦、名勝負ばかりで、パリまで行って観戦しなかったことを後悔しているほどだ。(ロスオリンピックは絶対行こう。)

で、最近強く違和感を感じるのは、オリンピック選手に対する批評(ならまだしも)、誹謗中傷の声である。試合に負けて大泣きした柔道選手をみっともない、武道の精神に反すると非難するのもどうかと思う。喫煙・飲酒で辞退を余儀なくされた体操選手に関しても、巷でもマスコミでも賛否が分かれる大騒ぎになった。バスケットでもハンドボールでも、強豪に惜しくも1点差で負けた試合があったが、それを「最後の最後で勝利に対する執念が足らない。」と「批評」するSNSの投稿もあった。

しかし、オリンピック選手は、出場し勝利するために尋常でない努力と才能を傾けてきた「超人」である。(もちろん僕も含めて)ただの凡人が軽々しく批評できる存在ではない、と僕は思っている。オリンピック選手は、日々尋常でなない鍛錬をして、厳しい日本代表選考会を経て本番の舞台に立っている。「本当に、一人一人が人生をかけて、全てをかけて頑張っている」様な超人に対して、クーラーが効かせてでビールでも飲みながら批評、批判するのは、自宅やプライベートの空間で呟く、仲間と酒の肴にするものであって、選手の目に付くSNSなどの場所や公共放送で物知り顔で言うべきではないと思う。

かつて京セラ創業者の稲盛和夫さんに対して、「あなたの様に仕事ばっかりして、何が楽しいのですか?もっと面白おかしく生きられたらどうですか?」と助言?をした経営者がいたそうだ。そこに居合わせた稲盛さんの盟友の塚本幸一(ワコール創業者)が、「稲盛くんが目指しているものはお前とは全く違う。大した経営をしていないお前がこの稲盛くんに何か助言する資格があるのか?」と激怒して叱ったそうだ。
世論と言うのは時に怖いものだと思う。(我々の様な)凡人が超人、天才、しかも前途ある若者を潰してしまう様なことがあってはならないと思う。努力してない人が努力している人を批判することは良くない。普通の努力しかしてない人が尋常でない努力をしてきた人を批判することも良くない。他人のことを批評し公然と批判する資格が自分にあるのか、まずは考えてみないといけないと思う。当社も、他社の批判をする前に、尋常でない努力を行わないといけないし、一方、頂ける意見には謙虚に耳を傾けつつも、根拠のない心無い批判には惑わされず、信ずる道をまっすぐ進んで行けたら良いと思っている。
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