社長ブログ

社長フィロソフィー日記

Bプラン

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人生には、自分の第一志望が実現せず、第二志望またはそれ以下の道に進まざるを得ない場合がある。いわば人生のBプランだ。
しかしBプランであったとしても、それが悪いこととは限らない。長い人生、何が幸いするか分からないし、本当に自分がやりたいことへの道筋が変わっただけで、BプランならBプランなりに幾らでもやりようはある。稲盛和夫さんも、第一志望の大学に受からず、地元の鹿児島大学に進学する。そして就職難から、専門の有機化学ではなくて無機化学の京都のセラミック会社に就職したのだが、そこは給料も遅配する様な会社で、挫折感を味わった。しかし腐らず誰にも負けない努力で周りを巻き込み、その後独立して今日の超優良企業である京セラ、そしてKDDI、更には日本航空の再建まで成し遂げ、現存する最強の経営者であり多くの人々から尊敬される経営者になった(そして縁もゆかりもない我々経営者をずっと指導してくれている)。
僕も子供の頃から外交官になって、世界平和に貢献することが夢だった。それがひょんな事で家業の中小企業継ぐことになった。外交官でも国際機関でもなく、また大学の友人たちの多くが勤める大企業でもなく、弁護士などの専門職に就くこともなく、中小企業経営者となった。だから僕の今の姿はBプランもBプランそのもの、CプランかDプランなのかも知れない。
むしろずっと第一志望でAプランだけでいける人生の方が珍しいのではないか。思い通りのAプランの人生には思わぬ落とし穴が待っている場合もあるし、謙虚さを忘れて自ら墓穴を掘ってしまうことも十分あり得る。上手くいっている時こそ謙虚にして驕らず、誰にも負けない努力を継続することが大切なのだが、人間なかなかそこまで悟ることは難しい。
Bプランになってしまって当初は不本意だったとしても、初期の目標、高い目標を諦めず、臥薪嘗胆しながらも明るく前向きになれる人間が本当に強い人間だと思う。 いや、Bプランに進みながら、最終的に大成する人が、むしろ本当の価値がある。若い頃は苦労は買ってでもしろと言われるが、それはBプランでどこまで這い上がる経験を積む時期だからだと思う。
Bプランに進んだ様に見えた僕の人生も、気がつけば(Aプランでずっと進んだ人も含めて)友人の中でも一番良い人生を送れていると思う。そして当初の目標、自分の力と独特なやり方で「世界をより良く、平和にする仕事」に近づいていっている。途中経過は何でも良い、どんな道を通ろうと、折れず腐らず視点は高く、ずっと努力していきたいと思います。

迅速な経営

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様々な組織を見てみると、当社とは根本的にやり方が違うなと思うことが良くある。
担当者は、その人が決定権を持つことについては(当然)自分で判断できる。自分で判断する訳だから、そんなに時間は掛からない。大抵の問題は数分考えて結論を出すくらいの話だし、數十分考えて判断が出来ない場合には、判断材料が足らな過ぎるか、設問自体が間違っているのだと思う。
時間が掛かるのは、その人が決定権を持たないことについて、その上司に判断して貰わないといけない事柄だ。その人に決定権がない=その人では判断できない、能力や知見が足らないと言うことなのに、その上司が判断できるだけの材料をその人がどうして準備できると言うのか。まるで生徒が先生に問題を出す様な話で、生徒が問題を出して先生に答えて貰うなら、その生徒は「先生以上」と言うことになってしまう(大抵はそうでないので、成り立たない)。
担当者があーでもない、こーでもないと考える時間は、無駄だと思う。担当者が解決できない、整理できない問題を一刀両断に判断するのが上司の役割であって、部下に完璧な判断材料を揃えさせて誰でも判断できる様になっているのであれば、その上司は不要だ。こんなことをさせるといつも判断が遅れ、結果として「迅速な経営」はできなくなってしまうと思う。
おそらく正しい「今時の組織」は、トップが最も難しい問題を解いていく、次に難しい問題を次に高いポジションの人が解いていく、普通の人が解ける問題は普通の担当者が取り組むと言う、「試験会場で一斉に、異なった問題を解いている」雰囲気の会社でないかと思う。
当社には稟議書はない。稟議書が必要なほど組織が大きくないからと言うことではなくて、「上司にお伺いを立てる」と言うプロセスがないからだ。担当者の手に負いかねるなら、それは担当者からその仕事を「奪って」上司がやってしまえば良い。上司の仕事とはそう言うものだと思う。
と言うわけで当社では、実力がなければ役職で威張ってられない。だって、役職は「自己申告制」で、実力があって難しい問題に取り組む気概があれば、誰でも何でも役職を付けてもらっても良いから。ただし、「社長」以外。

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