社長ブログ

社長フィロソフィー日記

「立場」というもの

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最近「立場」という言葉をよく聞く。「私の立場からしてそれはできない」、「私の立場というものもありますから」、「私の組織の立場からしては」などと立場、立場と話に出てくる。「立場」とは社会や組織におけるその人の位置づけ、その人の機能を示すものである一方、自由な人間としての能力、組織の行動範囲を制約するものでもある。「立場」と呼ばれるものを離れて「人間として何が正しいか」を考えてみれば容易に分かる話しであっても、「立場」が絡むと途端にややこしくなる、時には人間として正しくないことも(その組織では)正当化されてしまう恐ろしいものでもある。本来は、何か課題があったり問題があれば、関係者が集まって解決のために何をすればいいかを考えれば良いだけなのに、「立場」を考慮し始めると、それぞれの制約事項が多くなり、パズルの様にうまく組み合わせないと出来るものも出来なくなってしまう(ことが世の中にはむしろ多い)。「ご趣旨は分かりますが、私の立場からするとOKとは言えません」、「本来は当社のトップが判断しないといけないのですが現状では難しい」、「うちの立場からすればそれは無理です」とかいう言葉は、物事を停滞させ進歩を阻害する「魔法の言葉」(勿論悪魔)であって、「立場」と口にした途端に思考停止に陥る脳内麻酔薬みたいなものだ。
当社の方針は全く逆で、立場なんて気にしないし、社内でも役職名さえ勝手に考えて貰っている(この間も名刺にどう肩書きを書くかを決めていた)。役割はその場その場で得意技と状況を見て決めれば良いし、外との関係においても、他の組織がやらない様なことをやると言う意味では、立場になんて拘っていない。だから薬剤メーカー的なことをやったり、組合本部、商社、ソフトウェア開発、セミナー活動、ボランティアなど、事業は何でもござれで一体何屋さんか分からないほどである。
中小企業が「立場」に拘っていればその発展はない、ましてや元々万能でもさほど優秀でもない人たちが「立場」という制約条件を自らに課して思考停止に陥るなんて、人間としての成長も止まってしまうのではないか。「立場」を離れて「人間として何が正しいのか」を考えた上で出た結論を、今度は「立場」に戻って「立場」を利用して実現出来ないかを考えるのが、本来の姿だと思う。

まずは本番

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また高校の水球練習を見に行って感じたこと。競泳の練習をしている時にはタイムを切られて必死になって追い込まれている感じはするのだが(合宿だと100メートル100本とかやる)、水球の練習に移った途端になんだかのんびりムードが漂ってしまう。結果として、泳げるはずなのだが水球としてはとても弱いチームになってしまっている。勿論競泳もそれなりだから(水球部だから)、練習はそれなりにしんどいのに弱いという何とも中途半端で不幸な状況になってしまっている。
これは水球の練習のやり方が間違っているからだと思う。競泳の練習と同様、ボールを持った選手たちを如何に追い込むかが課題になる。じっとしてシュート練習をするのではなくて、30メートルコートを往復させてからシュートを打たせるとか、実際のゲームに即した場面を作り上げて限界のところで練習しないと意味がない。しんどい試合を意識して、また全国大会で良い成績を収めることが目的なら、例えば準決勝での試合のレベルを意識して練習するべきである。泳力、ゲームプラン、力技のどれをとっても鍛え抜かれたチームが勝ち上がってくるのだから、それらと伍して戦えるための練習を想定すべきなのだ。
これは何でも同じで、マラソンに完走するなら一番最初にすべきは、マラソンに実際に出ることである。何キロしか走れなかったという実力と、42.195キロ完走との差が分かる。富士山に登りたいなら途中まででも良いから登ること。そうすればどこまで登れたか、どこが今の実力であるかが思い知らされるから、逆算してこれからどんな練習や準備をしなければならないかが分かる。
楽な練習をしていると適度に疲れるからやった気になってしまうが、練習は本番のシュミレーションじゃなくては意味がなくて、練習のための練習や、本番ではあり得ない楽なシチュエーション、本番では全く使えない技術を磨いても仕方ない。マラソンもいくら歩行から始めると言っても、歩いてばかりではいつまで経ってもフルマラソンを走れる様にはならない。いつか5キロ走り、10キロ走り、辛い思いもしてハーフを走ってみて、それでやっとフルマラソンを走りきれるのだと思う。
仕事も同様だ。幾ら研修したって、本番さながらの研修じゃないと意味がない。また仕事では即本番という場面が少なくないが、交渉相手を前に自力で厳しい場面を乗り越えてこそ実力が付くのであって、上役の陰に隠れていたり、自分の仕事だけやれば良いという事なかれ主義では修羅場をくぐり抜けるということにならず、いつまで経っても実力が付かない。
という訳で、まずは本番、力のなさを思い知ってそのギャップを埋めるべく努力するというアプローチが良いかと思います。

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