社長ブログ

社長フィロソフィー日記

チーム作り

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自分が何が得意か意識していなかったけれど、多分「チーム作り」が好きなことは確かなようだ。
思い起こせばルーツは(やはり)「水球のチーム」である。母校は進学校だから運動万能な人は入学して来ない。水泳部、いや水球部に水球をしに入学する人なんて一人もいない。僕だってサッカー部出身で、体育の先生だった水球部顧問の先生にそそのかされて入部したくちである。他にもバスケット部出身、卓球部、体操部、帰宅部出身が半数で、残りが水泳部出身の部員構成だった。
にも関わらず、そして一人一人をみれば他のチームよりも相当劣る能力しかなかったチームだったのだが、「チーム」としては相当強かったと思う。泳げない、ボールさばきも下手、監督からの作戦なし、でもなぜかそんなことが気にならない「根拠のない自信」があったと思う。個人の能力とチームの強さは関係ない、個人練習は全然だけど、水球の試合になれば負けないぜって感じである。僕はそのチームのゲームメーカーとして活躍するのがとても好きだったし向いていたと思う。
今の会社も全く同じで、個人個人をみれば「とても他の会社では勤まらないなあ」と思う連中ばかりである。でも「チーム」としては決して負けない。競争にも負けないし、新しいこともにもチャンジしてうまくいっていると思うし、何より皆楽しそうに仕事に、マラソンに(これは?マーク?)頑張って成果を残していると思う。
「良いチーム」の条件、特徴とは、進む方向が共有されていること、権限が曖昧で皆が個人個人責任を感じていること、ピラミッド式の組織でもない、新しいことを面白がって皆が協力すること、その場その場のリーダーがはっきりしていて、他の人が「良きフォロワー」として気持ち良く協力すること、そしてリーダーは日替わりメニューで入れ替わり立ち替わり洗われること、なんかだろうか。
今の世の中はとても複雑だから、有効に機能するチームを作ることが重要である。これは会社の様な組織内に限らない。異業種や色んな会社が集まって「チーム」として動くのも大事なことだ。アライアンスを作って一つの方向を目指したり(今、面白い組合をやっている)、上下関係でも、元請け下請けの関係でもなく、皆で一つのビジョンを共有して一社一社がチームに貢献する雰囲気、信頼関係がとても重要なのだ。企業に限らず、NGOだったり、スポーツだったり、全く異業種の個人であったり。チームとして機能することが結果としてチーム全体に成功をもたらし、そして社会を良い方向に導くことになるのだと思う。
当社、ましてや僕自身が何処まで出来るかは分らない。でも「チーム作り」はとても好きだし、自分の役割だとも思っています。

事件は頭の中で起こっている。

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最近よく思うのだけど、頭の中にあること、心で思うこと、理解出来たこと、感じたことなど、ほんとに人間は「感覚」の存在なのだということだ。
物を買ったり所有したりするのも、そこから得られる満足感のためだ。住めば都と言うけれど、これはまさしく狭い家でも慣れてしまえば快適に「感じる」ことが出来るという意味である。食べてしまえばなくなってしまう食べ物に高いお金を払ったり、種類は違っても同じ位の満足感を得られる屋台での立ち食いも、結局その人がどのように感じられるかということに帰する。商品の魅力も、機能の豊富さや便利さなんかも大事だけど、結局ボタンを押した時の0.1秒のレスポンスの違いなんかが大きく影響することがある。これはまさしく「感覚」が大事だってこと。
人の評価も印象とかで決まってしまうし、受け取る方の感覚が人によって違うから、同じ人が同じことを言ったりしたりしても、「その人の評価」は極めて主観的なものになってしまう。会社組織も経営も同じ様なことで、優秀な人が集まっても優秀な会社にならない。一人一人が魂を込めて働く弱小人間の集まりの方が、やる気のない優秀な人からなる組織に勝ってしまう様なことは幾らでもある。「事件は頭の中で起こっている」のだと思う。
そうすると物事をどう受け止めるか、心を込めて何かをやることが出来るか、人の情念に訴えることが出来るか、独りよがりになっていないか、足るを知ることが出来るかなど、「心」に関わる問題が重要だということが分るだろう。
人を動かし、組織を動かし、社会を良い方向に変えていくためには、理屈だけではダメなのである。遷り変わり易い人の心を揃えてある方向に持っていくには、リーダーに余程の魅力と説得力がなければならない。企業理念、フィロソフィーが大事だというのは、まさしく「心の問題が大事だ」と同じ意味だと思う。
物事に近道はないし、休憩所もない。一人の平凡な人間でしかない自分が出来ることを不断に行って、人の心を引っ張っていくしかないと感じています。

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