社長ブログ

社長フィロソフィー日記

両目で皿を見て食事できる贅沢

カテゴリー: 経営日記

先日USTREAMで公開されていたソフトバンクの孫社長の講演を半分くらい観た.ダウンロードしてあるので,また何度かゆっくりと観たいと思っている. 毀誉褒貶はあるとは思うが,そのスケールの大きさは誰も否定できないだろう.藁しべ長者ではないけれど,人生において5度位,それまで持てるものを総て賭けて人生の勝負に出ている(そして総て勝っている). 一度目の勝負は16歳で渡米した時.高校の一学期を終えて司馬遼太郎の書いた「竜馬が行く」を読み,高校を退学してほぼ無一文で渡米している.先生がどうしてもなら休学して行けと言われたのに何故退学したかというと,「退路を絶たないと自分の様な弱い人間は帰ってきてしまうから」だそうだ. アメリカで猛勉強して大学に進み,一日5分の発明タイムを使って最初は1年で1000万円儲けようと思ったらしい.学生が一日5分で一千万,人からは当然クレイジーだと笑われたそうだが,実際は一年間で250の発明を考え,その中から一件はシャープに売却したパソコンの走りの様な機器,もう一件はゲームソフトで3億数1千万を手にした. それから日本に帰ってきて会社を作り,資本金全額をつぎ込んで名乗りを上げるためだけに展示会に出展した.社員はアルバイト2名の時である.そこで大手家電量販店の目に留まり,1年後には30億円の売り上げになった. それからまた持てる資金全部と借金でアメリカのコンピューター見本市を開催する会社を買収したり,コンピューター関係の会社を買収したり,その時にかき集められるだけの金額総て,実力以上の買収を何度も行っている.極めつけはボーダフォンの買収で,ソフトバンクの時価総額を遥かに上回る2兆円で,ほぼ全額借金で手にしたことである. ラスベガスのカジノで,持てるだけを総て一つの目に賭ける様なことを連続で行って総て当てたような話だが,彼曰く,「志は一度も変えていない」と言うことだ. 講演の最初の方でアメリカ留学時代の話が出た.誰にも負けない努力をしましたという話だが,講義は最前列の真ん中で食い入るように見つめ,片時も教科書を話さなかったという.食事の時も左手に本,右手にフォークを握って,両目は本を見つめている.右目の端に映る皿にフォークを突き立て,何か刺さったものを口に入れる.そのときのことを彼は,「両目で皿を見て食事できるような贅沢は僕にはありませんでした」と述懐している. なんとも凄い話だけど,稲盛さんにしても「事を成す」人は誰でも同じような努力をしているものだ.時間は同じ24時間,体力も2倍もある訳でない,とするとその誰でも同じ所与の条件で普通の人の数千倍の結果を残そうとすれば,自ずと最低でも「誰にも負けない努力」が必要になるのだ. 彼はまたこうも言っていた.「登る山を決めれば,目的の半分は達成されている.」 何を目指すか,どういう志を持つか,これが人生で一番大切なことだ. 当社もそろそろ勝負の時に来ている.志を大切にし,どうせやるなら「誰にも負けない努力」をして社会のためになりたい.また毎日,新鮮な気持ちで頑張ることにしよう.

売上目標

カテゴリー: 経営日記

当社に売上目標があるかと聞かれると、返答は微妙だ。もちろん営業担当者の設定目標値はあるのだが(正確には売上目標ではなくて粗利額目標)、それが「目標」かと言われるとそうでもない。 経営方針を建て方法論にしっかりと落とし込まれていれば、後は各担当者が自分たちの責務を能力を発揮すれば、予定された数値は達成出来るはず。だとすれば数値目標は「目標」というよりは「仮説の当然の結果」ということである。もしそうならなかったら、それは各担当者の目標達成の努力が足らなかったと言うよりも仮説が間違ってた=経営戦略が間違っていた、つまり経営者が悪いってことである。 だから数字が達成出来なかった担当者を責めたりするのは無意味だ、というより天に唾しているようなものだとも思っている。悪いのは担当者と言うより、担当者をそのように動かした仮説、つまりその仮説を設定した経営者が悪いのだから。 とは言っても、仮説を建てるのは何も経営者だけではない。担当者がその仮説を信じて異議を唱えず一年間検証してみて、それで結果がでなければ仮説の間違いの共犯である。 という訳でやはり担当者は設定した数値の責任を取らないといけないと言うことだ。結果にではなく、仮説を(共に)信じて実行した責任を、である。それが嫌ならやはり達成のため頑張れってことか。

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