社長ブログ

社長フィロソフィー日記

神に祈ったか

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JALの会長になってしまった稲盛さんのエピソードにこんなのがある。 ある日夜遅くに工場を廻っていたら、若い技術者が落ち込んで泣いているのを見つけた。どうしたのかと聞くと、その技術者は「どうしても良い実験結果が出ません」と答えた。 それを聞いて稲盛さんはこう言葉をかけたと言う。「神様に祈ったか?」。 もしその技術者が極限まで努力をしていたなら、もう後は神に祈るくらいしか手段は残されていないはずだ。つまり稲盛さんは「それ位迄、必死の努力をしたのか」ということを聞いていたのだ。 我が身を振り返って、神に祈るしかないほど努力しているかを問うととてもそんなことは言えない。当社の社員だって、そんなことを言える人はいないんじゃないかと思う。要するにまだまだってことです。世の中不況で神にも祈る気持ちでいる人達も多いと思うけれど、少なくとも当社はそれ以前に「これ以上ない程の努力と創意工夫をやりつくしたのか」を問いたい。 まあこれくらい気合入っていれば、誰でも絶対に成功すると思います。

ライバルと争わない

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会社経営において、「ライバル」と争うという意識は結構マイナス効果があると思っている。

まず「ライバル」の定義からしておかしい。ライバルとは誰が決めるものでもなく、結局自社が同じ業界、似た商品を扱っている他社を勝手にライバルと想定しているわけだ。「同じ業界、同じような商品」と決めてしまえば、それが自社の枠を狭めてしまうことだってある。「当社はこんなことをやって、そこからの派生でこういうこともやって。。。 」と会社はどんどん自律的に発展していくものなのに、いちいち「ライバルではやっていないのだが、、、」とか逆に「ライバルもやっているのだから、、、」とか考えていると、本当に自社に合った展開が歪められたりもする。

独立系の中小企業なら、どの他社をも真似する必要はないし、意識することすら必要ない。ひたすら顧客のニーズに応えるにはどうすれば良いか、自社の強みを活かして新商品、新規事業は展開出来ないかを考えるべきである。

「生き残るのは強者ではない、適者が生き残るのだ」という言葉があったけど、まさしくビジネスの社会もひたすら市場に適したものが発展するのであって、勝手に既定する「ライバル」を叩きのめしたものが生き残るのではないはずだ。 

ライバルを意識するのは自社に制約を課すこと、当社はひたすら精進、工夫して、「顧客の創造」 に努めたいと思う。

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