社長ブログ

社長フィロソフィー日記

豊かさとは何か

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人間の受容能力には限りがあって、これだけ情報が溢れ様々なことが体験可能な現代社会においては、「数や量が多いこと」が「豊かさ」につながるとは限らない。 典型的なのは情報量だ。面白そうなドラマ、ドキュメンタリー、ニュース、新聞、雑誌、インターネットニュースなんかを挙げていけばキリがない。図書館に行けば何日でもつぶせそうな興味深い本ばかり。もちろん過去に出版された必ず読むべき古典、歴史書、小説。衛星テレビにケーブルテレビ、それに膨大な映画。美術館に博物館も既に行った、行ってみたいところだらけだ。 インターネットが発達することで情報量は更に膨大なものになった。ポッドキャストでは様々な主体が発信していて、アメリカの大学なんてかなりの程度講義などを配信している。通常のネット情報ならまだしも検索で絞れるが、ブログやはたまたツイッターまでになると個人の(どうでも良いような)情報まで流されている。 情報だけではない。百貨店に行くとなくても困らないようなものが沢山溢れている。服はキリがないしデパ地下では食料品がところ狭しと置かれている。 これだけ物や情報が多くなると、沢山抱え込んで消費していくことは豊かどころか、本来一つ一つが持つ魅力までも十分に楽しめなくなってしまう状況に陥る。雑誌でも新聞でもじっくり読むととても面白いが、30冊重ねてあるともう飛ばし読みすら出来なくて、目を通すだけだと全然楽しめないし疲れるだけだ。 結局人間の「消化能力」には限界があるから、限られたものを選ぶこと、抱え込まないことが大事だと思う。だから例えば僕はテレビは殆ど観ないと決めた。これだけでもかなり時間の節約になる。消化能力に限界があるということは過剰は苦痛でしかなく、豊かさとは程遠くなる。 で結局は、必要以上のものは持たず過剰には抱え込まず、持つものの少ないことが豊かさの指標になるかも知れない。持っているもの、抱えているものは少ないけれど、心の内面が豊かな生活が一番贅沢な生活ってことだ。 そうすると豊かさとは心の問題に帰することになり、いわゆる物質的なことだけがそれを決めるのではないことが分かるだろう。生きがい、やりがい、人から感謝される心地良さ、天気の良い日に自然の中を歩く気持ち良さ、教養や文化が理解できる素養と余裕、異文化を楽しめる受容性、などなど「豊かさ」とは物理的に所有するモノで決まるのではなく、その人の精神性に大きく依存することになる。豊かさを感じるのは精神だという当たり前のことである。 会社もそう、色々と所有したり損得ばかり考えるのではなく、顧客のためにはどうすべきか、自分たちが人間として充実して生きていくにはどのような仕事をすべきか、精神的なところを追求することが「企業の豊かさ」を決めていく。こう考えてシンプルにやっていきたいと思います。

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