未来を選ぶ
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今日打ち合わせのため母校の水球部に行って、ついでに練習をみていたのだけど、彼らはまさしく今、「未来を選んでいる」最中なのだと思った。
毎日冷たいプールの中で厳しい練習を積み、もうすぐ全国大会の予選を迎える。勝つと負けるとでは結果は大違いで、大げさに言えばその後の人生にまで影響を与えてしまう。そしてその試合の結果は今日や明日の練習の成果にかかっている。いや当然それ以前に今に到るまでの練習、日頃の健康管理、子供の頃の生活なんかが大きく「彼らの今」を形作っている。
未来は選べるものだ。こういう未来を迎えたいと決心して必要な努力を必要な期間積むことによって大抵の未来は「選ぶ」ことが出来るわけだ。逆に言うと、「今の自分」は過去の自分がそうなろうと選んだ未来に他ならない。どういう状況になっていようと、それを選んだのは(過去の)自分自身だし、今の自分に多過ぎも少な過ぎもしない努力を積んできたわけだ。
だから現状を嘆いている人に会ったら、「それはあなたが選んだんでしょう」と言いたくなるし(勿論不可抗力もあるが)、母校の高校生が試合に負けたなら「そりゃそうだ」と言うまでである(努力の大切さを知らなかったという意味で可哀相だけど、努力に見合った実力通りという面では可哀想ではない)。
「未来が選べる」としたら、そして今の自分が「過去の自分が選んだ未来」だとしたら、どうせなら素晴らしい未来を選びたいものだ。そして一旦選んだなら、それに必要なことは何の言い訳もせず、黙々と実行していきたいと思う。
高校生はまさに未来を選んでいる。そして僕ら大人達も実は彼らとなんら変わらない。充実した未来、そして平和な未来を迎えたいなら、今、それに必要なアクションが必要なのだ。