紙一重の差
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最近はワールドカップを観ていて家族共々寝不足気味だが、紙一重の差で勝敗が決することをよく目にする。日本代表がベスト8を賭けたパラグアイ戦だって、PK戦のたった一本のシュートの成否が勝敗を分けた。
勝てばベスト8で、前評判からすると「奇跡のまた奇跡」である。それが後一歩のところでスルリと手の中から抜けてしまったのだから大変残念だ。
こういう「大魚を逃す」出来事は、その時はほんとに惜しかったなあと思うのだが、少し時間が経つと「まあそれも必然か」という気がしてくるから不思議だ。試合内容的にはどちらもベスト8に値するほどの超一流とは言えず、どちらかと言えばパラグアイが押していたと思う。
それでも延長戦でも決着が付かずPK戦までもつれこみ、結局駒野が放ったシュートが数センチ上に行ってしまったことで敗戦となってしまった。
この「数センチの差」とは一体なんだったのだろうか。勝負事だから最後は「運」ということになるのだが、敢えて言うならそれは「あれ位の激戦を何回くぐり抜けたか」という差だったように思う。
激戦の最後の最後で勝つか負けるかは、その人やチームが過去にどれくらいそのレベルの戦いを行ってきたかによる。最後の最後で力が出せるかどうかは、「最後の最後」という場面を何回経験できたか、またはそれに近しい練習で追い込めたかによる。
日本代表だって、ワールドカップ直前でそれまでの4年間で築き上げたものを捨てて守備的な新システムをぶっつけ本番で行った。それは本番を迎えてレベルの上がってきた他の代表チームには通用しないことが直前に判ったからであり、それまでのシステムや練習が「最後の最後に結果の出せるレベル」に達していなかったからだ。
そして通用しないものは駄目という当たり前のことを正面から受け止め、「通用するかも知れない」システムに変更したというだけである。この点で「これまで築き上げてきたものが崩れかけている」と批判した中村俊介は間違っていたと思う。確かにそれに気づくのが遅かったことはあるが、気づかずもしくは気づいても訂正しなかったよりは随分とましだったと思う。
企業にとっても「最後の最後の場面で力を出す」というのはとても大切だ。物事には踏ん張りどころというのがあるし、そこで結果を出せるか出せないかがその企業の将来を決める。
そのためには日ごろから「最後の最後」を想定した仕事ができるかということだ。日頃低いレベルで仕事を行っていたら、いざというチャンスで力を発揮できないだろう。大魚を逃せば次はいつ幸運が巡ってくるかわからない。常に厳しく真剣に仕事をしていきたいと思う。