社長ブログ

社長フィロソフィー日記

ワンワールドフェスタ

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来週土曜日曜(5日・6日)に大阪で開催予定の「ワンワールドフェスタ」というイベントにパネリストとして登壇する。これは外務省が後援する国際協力に関する企画で、たまたま僕の後輩で外務省勤務の人が、大阪の企業経営者で国際協力もやっている人というので僕に指名があったものだ。

http://blog.canpan.info/owf/ 

軽い気持ちで引き受けたのだが、3、4人のパネリストが二時間ほど話をしたり質問に答えたりする僕が出演するコーナーに、なんと寛平ちゃんがサプライズで登場するらしい(あれ、書いて良かったのかな?)。僕も最近はランナーの端くれだから、あのアースマラソンは畏敬の念を持ってフォローしていた。毎日50キロ走るなんて驚異の世界で、最後のゴールシーンは家族でテレビにかじりつきながら感動していた位である。

国際協力うんぬんについて話をするより、あの寛平ちゃんと同じ舞台に立てるのが嬉しい。という訳で、焦点はずれてしまいそうだが(因みに寛平ちゃん、二年ぶりにテレビ界に戻って来たものの、本職の「しゃべり」は全然駄目になったらしい)、暇があったら見に来てくださいね。5日の14時からです。 

私はいらんもん

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民族博物館館長であった京大名誉教授、梅棹忠夫の対談本を読んでいたら「私の履歴書」からの引用があった。彼は結核に罹り、その時の心境を以下の様に書いている。
「社会生活から脱落して家に閉じこもっている間、友人たちがたびたび見舞いに来てくれた。彼らから大学のことや世間の動きを聞いているうちに、わたしは世の中が何事もなく進行していることに気がついて、愕然とした。わたしは自分という存在が、何の意味も持っていないことを思い知らされたのである。
青年というものは、なんとなく自分を中心に世界を回転させているものである。それが実際は、自分抜きで世界は動いているのだ。私は謙虚な気持ちになるともに、深い虚無感をいだくようになった。(『行為と妄想 わたしの履歴書』)」
梅棹氏はそれで、「それでわかったんやな。そういうもんやって。わたしはいらんもんやなって。」
「いらんもん」とは関西弁で「要らないもの」という意味だ。「いらんもん」と悟ったというは消極的な意味ではない。「自分なんて世界の大きさからすると小さな、存在しなくても済む様な存在だ。だからこそ、その小さな存在に意味を持たせる様に謙虚に、精一杯努力しなければならない」ということだと思う。
世界は自分なしでも、自社なしでも回っていく。その冷徹な事実をしっかり分かって、「それでお前は何が出来るのだ」という問いに正面から応えていきたいと思う。

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