国の借金
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最近また、復興に絡んで増税か復興国債発行か、いや財政再建が急務だという議論が進んでいる。
財政再建は政府の支出を減らして収入を増やす、すなわち公共投資を削り、政府の経費を減らす(公務員改革)一方、税金を増やすと言う話だから、いつかはやらないといけないとは思いながら、「選挙を控えた自分(すなわち皆)は言い出したくない」課題である。だから安易に国債発行でなんとかしましょう、むしろパアーっと公共投資を増やして経済刺激を行いましょうと言う話になる。
で、財政の話だが、現在毎年国は約90兆円使って、収入は40兆円程度。残りの50兆円近くは公債、すなわち借金で補っている。バブル崩壊以降、この公債発行残高は、とうとう700兆円近くなってしまった。
財政はまだまだ大丈夫、日本は対外純資産国だし、そもそもGDPはとても大きいし、何より円で発行されている国債を買っているのは殆ど日本人だ(というか、銀行や郵貯、国の準機関が間接的に買っている)という議論もある。
国の財政問題が帰着する一番簡単な方法は、国債を紙くずにしてしまえば良いのだが(デフォルト)、そんなことは戦時や革命でも起こらないと出来ない。だから発行した国債は国の責任を持って、必ず返さないといけないのだが、次に簡単なのは個人から国への所得移転を強制的に(権力によって)行うことだ。
つまり財政問題は「国」の大問題であるが、「国+民間」の合計からすれば大した問題ではないというのが楽観論の根拠である。だから「国」の問題を「国+民間」でいつでも解決出来ると誰もが思っているし、海外の人もそう見ている。だからこれだけ「国」の財政が悪化しても「国+民間」の(相対的)高評価で円高になってしまう。
楽観論の典型は、「国の借金は数百兆円あるが、国民の貯蓄残高は1500兆円もある、これを有効に使えば借金なんてまだまだ大丈夫」みたいなものだけど、これって「私は借金が多いけど、隣の人は大金持ちだから大丈夫」みたいな話であって、国の財布と民間の財布を一緒にみた議論である。
でも国が怖いのは、いつでもその権力により、「隣の人の財布」も自分のものに出来るという究極の手段を持っていることだ。いつでも増税出来る、いつでも資産を没収出来る(相続税100%とか)ことだ。そして日本人って情緒的だから、「資産差し出しキャンペーン」みたいなものが「愛国的」に行われると、ついつい「孫のために」とか言って政府の借金を代わりに返してしまいそうだ。
つまり、個人(や民間会社)にとって将来に渡って生じ得るリスクは、いつ何時、政府が手のひらを返して資産を没収することだと思う。こんなことが本当に起こるかは分からないけど、最近の議論(真剣に国の財政を立て直す気がない)を見ていると、ついついそんなことも「想定内」だと思ってしまいます。