社長ブログ

社長フィロソフィー日記

シュートセンスの良さ

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今年の夏休みは十分取ったことに加えて、例年にも増して母校の水球部の観戦に出かけている。残念ながら水球が母校で始まってからの約50年間で最悪に近い成績で、現役諸君にも奮起してもらわないといけない状況だ。原因は色々あるだろうけれど、進学校において学業との両立が難しいとの印象がある、全国大会を目指す熱心な体育会への入部が減っていることがある。頭数が少ないから辞めてもいいやと思って厳しい練習をする訳にもいかず、厳しい練習をしないから弱くなって成績が残せず、成績が残せないから中途半端に厳しいクラブの人気がなくなるという悪循環がある。まあ何とかしないといけないのだが、これが会社の経営に並んで(それよりも?)もっかの悩みのタネである。
さてこの水球を観戦していると、シュートセンスの良さ、悪さみたいなのがあることに気がつく。シュートはよく「思い切って撃て」とか言われるけれど僕に言わせるとそんなことはない。「思い切って撃て」というのは「入るか入らないか分からないけれど、取りあえずゴールに向かって力強く撃ってみろ」というニュアンスがある。でも水球はその性質上、相手ボールになってしまったらまたディフェンスのために自陣に必死で戻らないといけない。シュートを思い切って撃った選手はいいかも知れないけれど、シュートを外されてそのためにまた必死で戻って泳ぐはめになる他の選手にとっては迷惑な話しである。僕はよくプールの中で、「撃つな〜!」と叫んでいた。そんなシュートを撃っても入る確率が低い、なら絶対入るシュートを撃ってくれ(さもないと泳ぎの苦手な僕は帰れない)との思いからだ。
シュートは入りそうなタイミングで、入る場所を狙って撃つものだ。そして外れても味方が詰めていけるコースを狙うべきで、入るかどうか分からないシュートなんて撃ってもらいたくない。
全く同様なことは経営、普段の仕事にも言える。「いいかも知れないけれど全くどうか分からない案件」もそうだけど、「如何にも駄目そうな案件」に周りの人、もっと悪いことには顧客まで巻き込んで始める「プロジェクト」はいただけない。やり始めれば「嘘が真になる」ケースもあるだろうが、大体において「最初から駄目そうなものは駄目」、「いけそうなものはいける」ということだろうと思う。だからいけそうなのか、駄目そうなのかをセンス良く見抜いて、成功までのストーリーをきっちり描き、そこから得られる収益のことも一瞬にして計算してから「シュートを撃つ」というのが正解だと思うのだが如何だろうか。

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