社長ブログ

社長フィロソフィー日記

事件は頭の中で起こっている。

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最近よく思うのだけど、頭の中にあること、心で思うこと、理解出来たこと、感じたことなど、ほんとに人間は「感覚」の存在なのだということだ。
物を買ったり所有したりするのも、そこから得られる満足感のためだ。住めば都と言うけれど、これはまさしく狭い家でも慣れてしまえば快適に「感じる」ことが出来るという意味である。食べてしまえばなくなってしまう食べ物に高いお金を払ったり、種類は違っても同じ位の満足感を得られる屋台での立ち食いも、結局その人がどのように感じられるかということに帰する。商品の魅力も、機能の豊富さや便利さなんかも大事だけど、結局ボタンを押した時の0.1秒のレスポンスの違いなんかが大きく影響することがある。これはまさしく「感覚」が大事だってこと。
人の評価も印象とかで決まってしまうし、受け取る方の感覚が人によって違うから、同じ人が同じことを言ったりしたりしても、「その人の評価」は極めて主観的なものになってしまう。会社組織も経営も同じ様なことで、優秀な人が集まっても優秀な会社にならない。一人一人が魂を込めて働く弱小人間の集まりの方が、やる気のない優秀な人からなる組織に勝ってしまう様なことは幾らでもある。「事件は頭の中で起こっている」のだと思う。
そうすると物事をどう受け止めるか、心を込めて何かをやることが出来るか、人の情念に訴えることが出来るか、独りよがりになっていないか、足るを知ることが出来るかなど、「心」に関わる問題が重要だということが分るだろう。
人を動かし、組織を動かし、社会を良い方向に変えていくためには、理屈だけではダメなのである。遷り変わり易い人の心を揃えてある方向に持っていくには、リーダーに余程の魅力と説得力がなければならない。企業理念、フィロソフィーが大事だというのは、まさしく「心の問題が大事だ」と同じ意味だと思う。
物事に近道はないし、休憩所もない。一人の平凡な人間でしかない自分が出来ることを不断に行って、人の心を引っ張っていくしかないと感じています。

厳しいところを「なあなあ」にする危険

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サッカーで強豪のガンバ大阪がJ2に降格してしまったが、選手の一人がインタビューに答えた内容が示唆深い。
「磐田戦の最初のサイドからの失点もGKとDFがしっかりコミュニケーションを取れば何も問題はなかったと思うし、あそこでサイドがもう1歩詰めていればクロスも防げたかもしれない。そういう厳しいところをなぁなぁにしたのが積み重なって失点になっていった。ガンバの選手はいい意味で大人で自立しているけど、そういう部分は全員で突き詰めて、厳しく行く必要があったと思う」
一人一人の能力の高い選手の集まりが、チームとなった時に弱くなってしまうのはいつも同じ理由である。危機感のなさ、最後の厳しいところをなあなあにしてしまう意識の低さ、最後の一歩を踏み出して足を伸ばす執念、こういうものが少しでも足りなくなった時に、組織は個人の集まりよりも弱くなってしまう。
思えば日本航空の破綻と再生も、全く同じストーリーである。高学歴の能力の高い人たちの集まりが、大企業倒産というとんでもない事態を招いてしまう。勿論日本航空の社員だけではない。国交省も政治家も、日本航空が潰れるはずがないと都合の良い様に利用し、誰も当事者意識を持たないままに破綻してしまう。稲盛さんが会長になり、再生の武器としたのが「フィロソフィー」と「アメーバ会計」(だけ)である。どちらも人間の能力を変えるものではない、社員の考え方と経営に対する見方を変えるだけの道具である。
一人一人の社員が意識を変えたことによって、それは経営破綻という劇薬があって初めて可能になったことかも知れないが、初めて当事者意識と危機感をもった社員の努力によって、同社は劇的な復活劇を遂げるのである。
危機感とは、最後の最後のところまで気を抜かず、何も「なあなあ」にしない努力、最後のところで足を一歩伸ばす執念のことだろうと思う。結局は意識の問題で、その差が、チームとしての強さを決めるのだと思う。

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