個人の責任、組織の責任
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僕はワイドショー的な話題が嫌いで、だから最近のSTAP騒ぎも目に触れない様にしてきた。権威のあるネイチャー誌に掲載された論文が取り消しになったことは科学の世界では大事件だが、マスコミで騒がれているのはそんな科学的な事件の大きさではなくて、主任研究員が若い女性であって大きく話題を集めたと思ったら(話題を集めたのもマスコミだけど)、それが極めて未熟な内容であったという劇的な展開が主な理由だった。
今日はとうとう当人の上司で指導教官的な立場の人が亡くなってしまったのだが、経営者としての僕が感じたのは、どうして組織が守ってやれなかったのかということである。上司が部下をサポートして手柄を立てさせてやりたいのは普通のこと、しかしサポートしてあげた部下が実は能力がなくて、結果として上司の責任を問われるのも組織内では当然のことである。だが明らかなのは、たとえ社員の誰かに責任があったとしても、対外的には組織としての責任であり、特定の社員の責任にしても仕方ないし、内心経営者は「あいつがヘマやりやがって」と思ったとしても(はい、たまには僕も思います)、対外的にはその社員を守り、組織として責任を取る(例えば損害賠償責任)、または社会的に責任を取らなければいけない場合は経営者が辞任などして責任を取るというのが筋である。そうでなくて社員に必死でやるだけやらせて、失敗したら梯子を外して組織として守らないなんて、そんなことをしていたらそれこそ組織がもたない。失敗したら個人で責任を取らされる組織で誰が必死で働こうというのか。
人間はパーフェクトではないから、研究が出来ても脇が甘かったり営業が出来なかったり、コミュニケーション能力が不足していたり、能力にはでこぼこがある。悪意がなくて一生懸命やっていて、それでも失敗したのなら、それは組織がその人をフォロー出来ていなかったりする「組織的問題」だから、悪い結果の責任も組織がとるべきだということだ。この意味で今回の責任は、理研のリーダー、つまり理事長にあるんじゃないかと思う。
当社は個人の長所を活かしながらチームワークで動いている。勿論個人のパフォーマンスを高めるのも重要、しかし完璧でない部分はチームで補う経営、そして最終的には経営者の僕が責任を取るということでいいんじゃないかと思います。