社長ブログ

社長フィロソフィー日記

最後の一回

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何ごとも、挑戦してみないとわからない。やってみて初めて得られる情報もあるし課題も出てくる。必死で努力してそれを一つずつクリアすることで、成功の確率が高まっていく。

しかし必死で努力して課題をクリアしたとしても、最終的に成功するかはわからない。というより、殆どは失敗に終わるだろう。当社の場合だと、思いつきで始めた商品開発や企画で(小さくとも)「成功」と言えるのは十個に一つもあるかどうか。 もしかしたらそれ以下かもしれない。

私は、自分のバスケットボール人生の中で9000回以上のシュートに失敗した。300近いゲームに負け、26回は試合の勝敗を決めるシュートを外した。私は、人生の中で何度も何度も失敗している。そしてそれこそが私が成功する理由なのだ。 

と言ったのは、あのマイケルジョーダンだ。シュートを打たないと入らない。入らないと勝てないし成功しない。

皆「成功」を目指すなら、失敗することは「当然」と思わなければならない。もちろん失敗しようとして失敗するのは良くないけれど、成功すると信じて必死で努力して、その結果「失敗」に終わったとしてもそれは「当然」なのだ。そしてその「失敗」は 必ず次の挑戦に生きてくる。必死で努力して「失敗」しないと、また次も同じような失敗を繰り返してしまう。従って「全力で、そして当然の様に失敗する、そしてまた次挑戦する」ことが成功の秘訣だと思う。

会社経営で「楽」なのは、「失敗」が許容されていることだ。 10回やって9回失敗しても、最後の1回成功すればそれまでの失敗は全部回収しお釣りがくる。一代で大企業にまでなった会社は大体そうで、失敗を繰り返しながら一回の大成功で大きく成長しているケースが多い。

従って大事なのは、失敗から学んで何度も挑戦すること、そして成功した時には大きく勝てる挑戦を行うことだと思う。逆に良くないのは、失敗を避けるためにそもそも挑戦しない、失敗から学ばない、成功しても大したことのない挑戦を行うことだ。そしてその際、致命的な失敗を犯さないことが挑戦を続けるためには必要だ。

当社も まさしく「当たればデカイ」ようなことを並行して次々と挑戦していると思う。「当たればデカイ」と言ってもそれは当社の利益のためだけではない。「当たれば社会の進歩がデカイ」ことが重要で、そうであれば協力してくれる人も多くなるし結果的に成功の確率も上がっていくのだと思う。ということで、全力で(成功すると思って)挑戦し、失敗してもその経験を生かしてまた次を挑戦することを繰り返していきたいと思います。

私心のない判断を行う

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最近、盛和塾北大阪支部の「京セラフィロソフィー輪読会」に出席している。盛和塾に入って20年もなるのに社内でフィロソフィー教育もしないでどうするんだという先輩のアドバイスも(半分)聞く形でまずは自分が改めて勉強してみようと思った次第です。とはいえ、京セラ(稲盛)フィロソフィー自体は常に意識して経営を行っているので、実際には当社の経営の仕組み、ビジネスの仕組み、社員の意識は殆どそれに沿ったものになっていて、「勉強しているが現実が付いていっていない」の反対で「社内研修は行っていないが、経営の仕方そのものが稲盛フィロソフィーを体現している」ことになっていると自画自賛?している。
ともあれ、新たな気持ちで輪読会に出席するとそれはそれで勉強になる。前回は、フィロソフィー33番の「私心のない判断を行う」がテーマであった。曰く、「何かを決めようとする時に、少しでも私心が入れば判断がくもり、その結果は間違った方向にいってしまいます。人はとかく、自分の利益になる方に偏った考え方をしてしまいがちです。(中略)私たちは日常の仕事に当たって、自分さえよければという利己心を抑え、人間として正しいか、私心をさしはさんでいないかと、常に自問自答しながらものごとを判断していかなければなりません。」
輪読会の席上では、多くの方が「経営者は自分の欲望を抑えて清く生きていかねばならない。もちろん会社としても儲かるからやる、儲けるためにやるという姿勢は良くない。正しいことを行って「結果的に」高収益になることが理想である(ということを意味している)」という意見が多かった。しかし僕は少し違うと思っている。
(僕が解釈するに)稲盛さんは「私心」自体を否定しているのではない。儲かりたい、よく思われたい楽したいという「私心」のは誰もが全面的に否定することは出来ないし、程度の差はあれそれが仕事のモチベーションになっている人も多いと思う。しかし自分の私心「だけ」を全面に押し出してしまうとどうなるか。社長の贅沢のためだけに働く社員はいないし、その会社の利益にしかならないビジネスに協力したいと思う取引先もないだろう。自分にだけ都合の良い判断をせず、どうすれば皆が協力してくれるだろうと考えれば、自ずと客観的に正しい判断、倫理的で利他的な行動をを取るしかないことが分かるだろう。「あの人は自分の利益だけを考えているのではない。取引先も消費者も、もちろん自社の社員の幸福も含めて成り立つビジネスの仕組み作りを行っているのだ」という評価があって、その人の欲望、能力だけでは出来ないことが、皆の協力のもとに可能になるのだと思う。その結果として、その枠組みの中心にいるその人にとっても十分大きな見返りが出てくる。
従って、「私心のない判断を行う」とは、欲望を抑えなさいという倫理的なことだけを言っているのではない(と思う)。大きなものごとを成就させるためには(そして結果的に自分も成功するためには)、最初から私心に曇った気持ちで考えてはいけないということだ。つまり、「ビジネスモデルがうまくいくには、そこに参加する人たちが皆利益を得ることが大切。自社の都合、社長の私欲だけではうまくいきませんよ」という様に理解すればいいんじゃないかと思います。

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