必要な努力の量は決まっている
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この日曜日は、恒例の那覇マラソン、しかも記念すべき、当社が参加してから節目の10年目の大会であった。
思い起こせば10年前、ふと思い立ってフルマラソンに挑戦し、毎年の恒例事業になってきた。良かったことと言えば、多くの社員がタバコを止め、メタボが多少改善され、なんと言っても毎年マラソンをするということで連帯感が出てきた。
で、10年目のマラソンの結果なのだが、記録の残ってい7年間の17回のタイムが新しい順で、
4:18:26、4:42:29、4:36:34、4:07:48、4:15:07、4:11:27、3:59:05、4:08:35、4:32:13、3:56:50、4:06:40、4:52:11、4:29:30、4:42:04、4:43:43、4:34:33、4:30:27、
となっている。調子が良い時で4時間弱、最も悪い時で(台風の時の徳島マラソン)の5時間弱ということで、歳は重ねてきたけれど、タイム的にはそれなりに底上げがなされた様な気がする。
で、分かったことは、「目標を達成するための努力の量は決まっている」ということだ。
練習を積んで事前に準備している時は、本番でそんなに頑張らなくても結果は出る。逆に練習が出来てないと、しわ寄せが一挙に来て、本番でいくら頑張って辛い思いをしても追いつかないことになる。つまり目標を達成するための努力の必要絶対量は決まっているということだ。
だからいくらある社員が、「本番で僕ほど長時間、辛い思いをした人はいないです、速い人は辛い思いはしているかも知れないけれど短時間で終わるから、遅い僕らの方が実は努力しているんです」と言ったところで全く説得力はない。それは事前に努力を積んでないから本番しんどいだけで(しかも取り返せない)、本番に楽をしてそれでも速い人は、誰にも負けない努力を積んでいるということなのだ。
仕事でも同じ話で、いくら締め切りに近づいて遅くまで頑張ったとしても、なんの自慢にもならない。日頃から準備を計画的にやっていれば、本番でジタバタしなくても辛い思いをしなくても、軽く目標は達成できるはずだと思う。
そう、目標達成に必要な努力の量は決まっている、いつどの様にやるかはその人次第で、優秀な人は日頃から他人から見えないところで地道にやっている、ただそれだけだと思います。