社長ブログ

社長フィロソフィー日記

トータルで責任を負う

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最近(ここ数年)よく思うのは、会社も社員(個人も)、業績や自分の人生については、自らがトータルに責任を持たないといけないということだ。
まず、会社が業績について責任を持たなければいけないことは当然として、社員に対しても報酬以外の面でも責任を負うべきだと思う。社員の健康、家族の幸せ、やりがい、そしてその会社で働いて良かったと思える満足感、それらは(もちろん社員の頑張りもあるけれど)、トータルで会社は個人に対して責任を持つものだと覚悟している。
業績をあげて原資を稼ぎ、生活に必要な報酬を支給し、その上で社員のやりがいや健康にも責任を持つ。当社では後者については「好きな仕事」を仕組み化して収益の出る「変換装置」を考え、半年に一回マラソンに(僕も)参加して(尋常でない)体力作りに励む。どちらもなかなか大変だけど、経営者も社員も同じ人間だから、何かのために何かを犠牲にする仕組みはどこかおかしいし、長くは続かないと思っている。
逆に社員も会社(=公)に対して責任を負う。裏返しの話になるのだけど、「好きなこと」を活かして仕事をして、健康面も家族などのプライベートの面でも会社に支えられている面があるのなら、公私の区別なく、惜しみなく精一杯働き、組織(=みんな)のため社会のため貢献しなければならない。
会社という(ある意味バーチャルな)組織は個人のために、個人は組織(=みんな)のために頑張るというのが、現代の組織、集団のあり方なのではないかなと思う。
簡単な言葉で説明するのは難しいけれど、「会社は個人の集まり、個人は会社によって支えられている」(逆に、「会社は個人によって支えられている、個人は会社の一部」)というのが理想なのではないか。善かれ悪しかれ、働く人は起きている時間の大部分は会社で過ごしているわけだし、そこを「公私」で分けるには無理あるというのが僕の見解だ。
従って?当社には階級も上下関係もない。同じ立場の人間が集まって、力を合わせて社会のためになるように頑張っているというシンプルな構造だ。決まった上下はなくとも、実力差はあるし専門性もある。そこは「自然と」適材適所に収まっていくというのが、これまた「正しい人事政策」でないかと思います。
なんだか取り留めないですが、最近ブログの更新が少なかったので、頭に浮かんだことをつらつらと。

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