社長ブログ

社長フィロソフィー日記

非日常の大切さ

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意識的に定期的に、非日常を経験することが大事だと思う。人は同じ環境に長くいると、その環境が「当たり前」となっていく。しかしその「当たり前」は当たり前とは限らない。昨日までの常識は一瞬にして非常識に変わっていくことは、このコロナ禍で多くの人が経験したと思う。
「まずはご挨拶させて頂いて」は「まずはZOOMで打ち合わせましょう」となったし、会社に行かないことが当たり前にもなった。用事もないのに出社しようものなら、危機管理と自己管理ができない人と思われてしまうほどだ。コロナの前では、暑い夏でも上着とネクタイをするのが「当たり前」だったのが、今やネクタイ派は少数派。IT系の会社でなくても、スマートカジュアルが普段の仕事着となってきている。昔の話だと印象的だったのは、原付バイクでもヘルメットを被る規制が導入された時だ。ちょうど切り替えの時が海外旅行に行って帰ってきたタイミングだった。帰国すると、なんと(当たり前だが)全員が全員、ヘルメットを被っている。間違って違う国に帰ってきたような気になったことを今でもよく覚えている。
1945年の終戦時に、軍国主義から一挙にアメリカ型の民主主義に180度転換して、「国の言うこと、大人の言うことは信用できない」と思った多くの若者たちがいた。価値観が180度変わってしまうことを経験したら、今日の当たり前が明日もそうだとは限らないことは身に染みて実感できただろう。
だから、意識的に非日常を経験することは大事だと思う。僕も10月にはアメリカへ出張したり、この年末年始は北海道に旅行してきた。アメリカでは日本とは違って経済活動は普通に行われていたし、何より外国だから日本とは何かと勝手が違う。北海道は生憎の天候だったが、それでもマイナス15度20度の非日常な世界を経験することができた。ボランティアの海外支援の仕事でケニアに出張した際も、1日1ドルで暮らす人々の様子を伺うことができた。吉野家の牛丼は400円くらいだが、ケニアのスラムからすると4人家族が1日暮らせる金額だし(=高い)、スイスのビッグマックの半額でもある(=安い)。
当社でやっているフルマラソン参加(今はコロナで休みだが)も、非日常を感じるためのイベントとも言える。オフィスで一緒に働いている人たちと、沖縄の朝9時にフルマラソンのスタートラインに立っている(しかも二日酔い)と言うのは、かなり貴重な体験である。日常の常識を覆す、昨日までの当たり前を意識して変えていくには、人事異動も有効だと思う。同じ仕事を10年間も続ければ、かなり熟練はするけれど、同時にその日常が当たり前になってしまう。当たり前を不変、普遍と感じてしまうとイノベーションは起こりにくい。他所者の目で、素人の真っ新な目で見て、初めて業界の常識は世間の非常識だと言うことに気づく。
当社も常にアップデートを続けたい。そのためには無茶振りと言われようと、マラハラ(マラソンハラスメント)と言われようと、社員には非日常な機会を与えていきたいと思う。プロジェクトを切り出して分社化して社長をやってもらったりと言うこともこれからあり得ると思う。また今年はバルセロナで学会発表の機会を与えられた社員もいるけど、そんな非日常、なかなか機会はないと思うので頑張ってください。

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