社長ブログ

社長フィロソフィー日記

前原外相辞任

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焼き肉屋の地元のおばちゃんから年間5万円貰ったからと言って、外務大臣を辞任しないといけないとは驚きだ。「それによって私の外交方針、政治的意見が影響されたことはない」とは当たり前の言い訳だと思うが、それさえも大事件にしてしまう今の日本の風潮にも驚いてしまう。

この国でリーダーになるのは大変な様で、自分のことは棚に上げて他人のミスに非寛容な文化は挑戦する意欲を奪い、結局「何もしない」のが一番平穏で安全ということになってしまう。会社や組織がが駄目になる典型的な事例で、向こう傷を恐れて新しいことはなにも出来なくなる。法令違反をしても良いとは思わないけれど、良心に従って正しい行動に不都合があったら、事実を理解してルールに従い、謝罪すれば良いのだと思う。

全然話は違うかもしれないけど駄目な会社の典型は、会議中に提案内容そのものよりも誤字脱字を指摘する参加者がいることだ。また全体や物事の方向性を理解せず、評論家の様に自社の都合だけ、自分の都合だけ、でお前はどうするのだと言いたくなる人は当社には要らない。

但し、前原外相が外相の地位にふさわしかったかどうかは別問題である。非合法手段も含めた外交の権謀術数の中で彼がトラップに陥らずに任を務められたかどうか。その意味で今回の辞任は、法令違反のためではなく、たかが野党議員のチクリにさえ耐えられず脇も甘かった「能力不足のための辞任」と理解したい。 その意味では小沢さんくらい打たれ強い人が、毒には毒をということで中国大使、ロシア大使くらいになったら良いかもしれない。

親は子供の邪魔をしてはいけない。

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今日は高校水泳部OB会の役員会があって、幹事長の僕も当然参加してきた。会が終わってからコーヒーを飲みながら後輩の監督やその他の若手と話していたのだが、今の子供たちが頑張らない理由が分かる様な気がした。

高校のクラブに入部する、特に厳しくて全国大会なんかに出るチームに参加できることはとても得難い環境だ。自分の実力以上のことを強制的にやらされ、知らず知らずのうちに力がついてくる。自分の狭い世界が外から打ち破られ、自分の小さな常識が音を立てて崩され、でもなんとか生き残っていく内に強靭な身体と精神が得られる様になる。

僕の母校は進学校だから、そうやって限界を超える練習や試合を重ねても、一方で卒業後は一転勉強していい大学に入ったり、中には3年の受験直前まで部活をしながらもそのまま現役で受かってしまう様な奴だっている。周りにそういう先輩や同級生がいると、「それが普通」と思ってしまって、自分も出来る様な気になって実際そうなることも多い。

要するに、どんな厳しいことだってどんな高いレベルに置かれても、「それが普通」と思えれば意外と、特に若い頃はなんだって出来てしまうものだと思う。

そこで邪魔するのが実は親だったりする。自分の子供が体力の限界を超えて参ってしまっていたり、故障したり、また勉強の成績が落ちたりしたら、「何々ちゃん、そんなに頑張ったんだからもう十分だよ」と悪魔のささやきをしてしまう。そうすると子供は、「そうか、私は頑張ったんだ。120%やっているんだからこれくらいでも仕方ない、もう十分」と心理的な限界を自分で設定してしまう。で、そこから先は伸びない。

人間は自分で100%と思っている80%しか実際には出来ない。10キロ走ろうと思えば8キロでもの凄くしんどくなって、10キロ走る頃にはヘロヘロになる。20キロ走ろうと思えば10キロ楽勝、でまた18キロでしんどくなる。フルマラソンなら20キロは楽勝、35キロで限界を感じる。いずれも自分で設定したゴールの8掛けでしんどくなるという脳に騙されている現象である。

親が子供は十分頑張っていると思って言ってしまった場合、子供はそこから先は成長しない。 それは実は「邪魔」であって、親心が小善をなすことが子供にとっては大悪である。

これは会社経営でも同じである。社員のことを思って甘くする、それ位でいいよと言うことが、その社員の成長を阻んでしまう。上司の責任は、小善に陥ることなく嫌われてもその人のことを本当に思って、理不尽な要求、過度のタスク、そしてその人の小さな常識、狭い世界観をぶっ壊すことが最も大事だ。「あの人、無茶なことを言う」 と言われるのが名誉であって、それでも従ってくれる人間の魅力もまた大事な要素となる。

今日も話しながら、自分でも勉強になった。水球部を見て自分の会社の振りを直す、 結局組織は同じなんだなと思った次第です。

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