騒ぎ過ぎ。
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最近京大入試での携帯電話を使ったカンニング(巷では、ソーシャルカンニングと呼ばれているらしい。確かに。)がメディアを賑わしている。単なるカンニングなんて何処でもあるだろうし、いい大学に入ったからと言って将来が保証される訳でもない自己満足だから(社会では実力がなければクビ)大した話だとは思わないのに、新幹線のニュース速報にも流れている始末だ(それで思い出した)。
それと相撲。これも相撲の取り組みが総て真剣勝負だと思っていた人は少ないだろう。相撲はかなり特殊なスポーツで、歌舞伎や能に近い文化的な伝統技能だ。文化的=勝つだけでは駄目、勝てば良いってものではないと認識されている時点で純粋格闘技でもなく、「概ね真剣」に文化を守るって程度だと多くの人が思っていると思う。警察も警察で、賭博事件に絡んで八百長情報を公表したのだが、これも趣旨がよく分からん。グレーな部分をあからさまに公表すれば世間だって「そりゃいけない」と反応するしかないではないか。それによって曖昧さが許容されなくなってそもそも相撲という文化が崩壊の危機にある。
企業のコンプライアンスも同じ。コンプライアンス重視が行き過ぎると本来の企業活力が失われることも多いと思う。「世の中に絶対大丈夫」ってことはないから、「絶対」の部分を追求して行くと何も出来ない状態に陥る。
駄目なものは駄目だけど、そんな白黒つけてどうするのってことまで追求して、本当にエネルギーを注がないといけない「新しいことの創造」、「訳の分からない未来への投資」、「やってみないと分からないことへの挑戦」などが出来なくなるってのも本末転倒だ。もっと言えば世界には混沌として解決すべきことが沢山あって(中東での民主化とか)、「京大でのカンニング」なんてどうでもいいと思うのだけど、どうだろうか。因みに京大は僕の母校だけど、「いい加減さ」が売りなのにこれで管理が厳しくなるのも残念なことです。