私はいらんもん
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民族博物館館長であった京大名誉教授、梅棹忠夫の対談本を読んでいたら「私の履歴書」からの引用があった。彼は結核に罹り、その時の心境を以下の様に書いている。
「社会生活から脱落して家に閉じこもっている間、友人たちがたびたび見舞いに来てくれた。彼らから大学のことや世間の動きを聞いているうちに、わたしは世の中が何事もなく進行していることに気がついて、愕然とした。わたしは自分という存在が、何の意味も持っていないことを思い知らされたのである。
青年というものは、なんとなく自分を中心に世界を回転させているものである。それが実際は、自分抜きで世界は動いているのだ。私は謙虚な気持ちになるともに、深い虚無感をいだくようになった。(『行為と妄想 わたしの履歴書』)」
梅棹氏はそれで、「それでわかったんやな。そういうもんやって。わたしはいらんもんやなって。」
「いらんもん」とは関西弁で「要らないもの」という意味だ。「いらんもん」と悟ったというは消極的な意味ではない。「自分なんて世界の大きさからすると小さな、存在しなくても済む様な存在だ。だからこそ、その小さな存在に意味を持たせる様に謙虚に、精一杯努力しなければならない」ということだと思う。
世界は自分なしでも、自社なしでも回っていく。その冷徹な事実をしっかり分かって、「それでお前は何が出来るのだ」という問いに正面から応えていきたいと思う。