社長ブログ

社長フィロソフィー日記

ストレッチ (2)

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夏の終わりに高校の水球部の練習を観た。これは全然駄目で、来年の今頃はまた「来年こそは」と悔しがっている彼らの姿が浮かんでしまった。
その練習の風景だが、チームのキャプテンが練習を指示しているのだ。彼は背も高くて多分泳ぎも速くて、プレーヤーとしてはそれなりの選手なのだろう。だからキャプテンに任命されて練習を引っ張っているのだ。
でもその構造は根本的に間違っている。選手が自分で自分を鍛えるなんてあり得ない。一番下手な選手はその練習でもうまくなるかもしれないが、練習を積んだ高学年生、つまり来年主力で戦うことになる彼らは決してそんな練習では成長しない。
人間は弱い生き物だ。成長するには実力以上の負荷を与えられ、無理矢理でも強制されて習練を積み、それでやっと出来なかったことが出来る様になる。自分自身ではどうしてもその「実力以上の負荷=ストレッチ」をかけることができない。それが出来るのは(それ以上練習すれば故障してしまうぞと警告されたりする)オリンピックに出る様なエリート層だけである。
たかだか高校生が、自分自身を鍛えることはできない。前時代的で今の自主性を尊重する風潮には馴染まないかもしれないけれど、「自主性」なんて人生のずっと後のことで、最初は誰でも強制されて基礎がつくものなのだ。
キャプテンに悪気はない。でもそんな自主練習では決して来年勝てませんよ。コーチから怒鳴られ、もう無理ですと言ってからが本当の成長の伸びしろである。早く気がついて欲しいなあ。
これは会社経営でも全く同じこと。自分らで「もうこんなもの」と思って毎日仕事をしている企業は決して伸びない。「そこまでやるか」、「そこまで要求されるのか」と思ってから、すなわち目一杯ストレッチしてからが本当の「利益の源泉」である。経営者としては常に課題を与え負荷を与え、「能力を未来進行形で捉える」努力をしなければならないのだ。

実際に「会う」こと (2)

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不思議な感じもするが、実際に会ってみるとおそらく人間の心理として、目の前の人に親切にしたい、出来ればなんとかこの人と仕事をしたい、何か実現できる方向はないかというようなことを考える。
その場にその人やその人が代表する会社がなければ切って捨てるような案件でも、アポを取ってもらって実際面談すると、どういう訳か「希望が成り立つような方策がないか」を考えてしまうし、何とかして目の前の人の提案を受け入れたくなる。
人間の心理なのか、目の前の人を面と向かって否定することは苦手のようで、調和を図る意味か分からないけれど、前向きなバイアスがかかってしまう。逆も真なりで、その場にいない人は「欠席裁判」でネガティブな評価を受け易い。目の前にいる人を贔屓にするためにその場にいない人を犠牲にするのは人間の性質のようである。
だからこそ、重要な場面には「その場にいる」ことが大事だ。いくら情報化社会でIT技術が発達したと言えど、こういうフェーストゥーフェイスの交渉は必須の様である。電話やメールだけではダメで、その場にいて気まずい沈黙や面と向かった自身のオーラも総動員して案件を進めるべきである。
僕も例に漏れず、実際に人に会うとどうしても「大体はOK」って話になってしまう。これはおそらく人との「縁」みたいなものを重視しているからだろうし、偶然をなぜか必然と捉えてしまうからかも知れない。
「理屈では割り切れない」というのは案外こういう人間の性質に拠っているような気がする。当社も「面と向かって交渉する大切さ」をよく理解して、前に進んでいきたいと思います。

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