最近のビデオ流出事件
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最近、例の尖閣諸島での衝突事故のビデオ流失が問題になっている。公開する公開しないであれだけ揉めたビデオがあんなにあっさりと流失してしまうことも驚きだが、それよりも流失させた人(おそらく内部者)への同情の声が多いのも驚きだ。
ビデオが本来政府によって公開されるべきだったのに公開されなかったから、内部者が「勇気」を持って公開に踏み切ったことへの讃美の声があるのだろう。
しかし問題は政府によって本来公開されるべきだったか否かではない。今回の流出がそれでも問題だと思うのは、流出させた人が何の民主的手続きを踏んでいないことだ。筋論で言えば、選挙によって選ばれた人たち(=政治家・議員内閣制においては政府首脳の大部分)が決めたこと(=ビデオが一般公開しない)が、公務員試験に通っただけの行政組織の単なる一職員によって覆されたことになる。もしこのビデオ流出によって日中間で戦争でも起こったら、その職員は責任を取れるのか(流出させたことも名乗り出ない、無責任な人だ)。
同様に、もし一自衛官が自分勝手な「正義感」に駆られミサイルを他国に向けて打ったり、警察が勝手に逮捕して勝手にその場で処罰してしまったら一体、この国の民主主義はどうなるのだろう。遠回りかも知れないけれど、いつか大阪の橋下知事が高校生に言い放ったように、「文句があるなら政治家になって法律を変えなさい」というのが筋であり、長い民主主義の知恵である。
同様に、会社も同じこと。担当者が勝手に自社に不利になるようなことをその場の「正義感」で行ったらどうなるだろう。経営責任を負わない担当者がなあなあで行う行為が会社の命取りになる場合だってある。会社における民主主義とはきちんとおかしいと思うことは上司や経営者と議論すること、そして一旦決まったことは納得しなくったってやり抜かねばならない。しかも日本人は辞めれないが、会社は辞めて他に行くことも出来る。文句があるなら勝手にやらずにきちんと会社内で議論すべきというのが、会社のガバナンスでもある。
自由と無責任とは違う。今回の事件で改めて思ったことだ。