リーダーの仕事
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盛和塾の塾生であるイボキンの高橋社長のビデオを見ていて印象に残ったことがある。高橋社長が祖父の創業した産廃業の会社に帰って来た時に、余りに会社の中が汚い、産業廃棄物が整理もされていない状況を見て、汚いところを綺麗にしようと社員に声をかけた。
最初は誰も手伝わず、でもひとりずつその掃除の輪に加わってくれた。しかし汚いところを順番に掃除しようと声をかけたら、古手の社員に「どこに綺麗なところがあるんや、全部汚いやないか」と言われたらしい。
その社員も汚いよりは綺麗な会社の方が良いと思っている。でも仕方ないと思って長年我慢していたのだ。
その後この会社はISO14000取得に挑戦する。その事に関して誰も文句を言わないどころか、率先して皆が協力してくれたらしい。「ISOのためだから整理整頓しないといけない」、「ISOだからここを掃除して」、「ISOだから」という言葉が魔法のように、何でもかんでもの理由にされて改善が進んでいった。
ここで大事なことは、社員は、いや人間なら誰でも向上心を持っていると言うことだ。汚いよりは綺麗な方が良い、挨拶はしないよりした方が良い、会社は儲かってないより儲かっている方が良い、お客さんに不満を言われるよりは褒められたい、仕事は詰まらないより楽しい方が良い、ダラダラしているよりピリっと緊張して仕事に当たった方が良い、などなど、「悪いより良い方がいい」と当然思っているものなのだ。
ではどうして現実に良いことばかりでないかと言うと、人間は思っていても行動に表すのに多少のハードルがあるということだけだ。イボキンの例でも、汚いのは誰でも嫌だったけれど、誰も掃除しないから我慢していただけの話だ。ISO取得するような会社で働きたかったけど、誰もISO取得しようと言い出さなかったから実現していなかっただけだ。
そう言えば、先日近所の川の掃除をした。スーパーの袋やらペットボトルなどが中洲や草むらに引っかかって折角綺麗な風景が台無しである。僕はよく川べりをランニングするのでずっと気にはなっていたのだけど、実際に中洲に降りていってゴミを集めて捨てるということは出来ずにいた。それをこの間は一念発起して僕の子供二人、それに近所に住む社員二人に声をかけてゴミ拾いをしたわけだ。やってみるとそんなに難しいことではない。日曜の午前中1時間半ほどで200メートルほどを掃除することが出来た。子供たちは勿論レジャー気分だったし、誘った社員二人も「よくぞ誘ってくれました」という感じ?で楽しんでやってくれたと思う。
要するに誰もが「良いこと」を望んでいるのだけど、実際の行動を移すには多少の思い切りが必要だと言うことだ。それぞれの人の中にある向上心や善意を、少し背中を押して実行に移す手伝いをするのがリーダーの役割であると思う。
そう言えばマラソンもそう。誰もが(言い過ぎか)、生涯一度はフルマラソンを走りたいと思っている。それを実際に声をかけ、参加する大会を決め、ツアーを組んで一緒にやろうぜという機会を与えただけだ。それだけで当社は正社員の半分近くがマラソンを始めることになった。
心の中の「良きことを望む心」を実現する手助けをすること、これがリーダーシップの役割だと思うのだけどどうだろうか。