社長ブログ

社長フィロソフィー日記

二十年にして初めての輪読会

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僕は(多くの方がご存知の様に)もう二十年来(正確には丸二十二年)盛和塾に入っていて、稲盛和夫塾長を経営の師匠として研鑽している。盛和塾の塾生であれば当然、その哲学(フィロソフィー)を学び、また社内でも輪読会などを行って浸透させることが当然の様に行われている。

当社の経営理念そのもの、経営の目的もフィロソフィーに即したものになっている。「利他の心の経営」、「会社の目的は社員の物心両面の充実を実現すること」、「損得よりも善悪をまず考えること」、「誰にも負けない努力」、「仕事を通じて人格を磨く」 などは、いつも何かにつけて強調し、実践しているところでもあると思う。

しかし、当社では、僕自身フィロソフィーを本当に理解し実践しているとは自信がなかったこともあって、長年そのフィロソフィー輪読会を行って来なかった。しかし二十年も盛和塾で学んできてまだその哲学を社内で共有できてないとすれば、このまま行くと一生やらなくなってしまうと思い直し、今からでも遅くないと思ってこの度、始めてみようかなと思った次第です。

そもそも仕事のノウハウでなくて、「生き方」や「人生哲学」の様なものを会社で学ぶ必要、意味があるのかということだが、仕事は人間がやること、会社は利益は必要だがそれは手段であって、本当の目的は「全従業員の物心両面の充実」と「社会貢献」であることを考えると、やはり「考え方」に踏み込まざるを得ない。仕事を通じて人格を磨く、魂のレベルを上げていくことが、「働く意味」だと思う。

能力に限りがあるけれど、熱意や考え方が素晴らしいものであれば、人生の結果も素晴らしいものになるというのが稲盛哲学の教えだ(人生の結果=考え方x熱意x能力)。特に中小企業においては、学歴も能力もバリバリでほっといても素晴らしい成果を上げる人はなかなか入ってこない(大企業でもそうだが、仕組みや既得権益が強固だからやっていける)。「考え方」が重要になってくると思う。

「考え方」(=フィロソフィー)と言っても難しいものではない。「真の勇気を持つ」、「綺麗な心で願望を描く」、「素直な心を持つ」、「仲間のために尽くす」、「心をベースとして経営する」、「公明正大に利益を追求する」、「原理原則に従う」などなど、小学校の先生や親に教えられた様な、プリミティブことがその大部分である。

この様な簡単な「考え方」なのだけど、それを実践するのは優しいことではない。人間はついつい、少し成功するとすぐに「謙虚であること」を忘れてしまうし、「公明正大」でありたいと思っても、月末の数字が足らないとか楽して勝ちたいと思ってついついずるいこともやったり、正当化してしまったりする。学歴の高い人でも考えられない様な不正を行ったりするのは、残念ながら新聞などでもよく見ることだ。稲盛塾長が手掛けたJALの再生でも、全く同じ人たちが働いているのに(むしろリストラで少なくなった)、心の持ち様(考え方)が変わったからこそ、それまでとは全く異なった、素晴らしい会社に生まれ変わった。人間の心は畑の様なもので、常に手入れをしておかないと雑草が生えて荒地の様になってしまうものだと思う。

当社の場合は、経営方針や社員との関係がある程度は稲盛哲学を反映するものであったからこそ、これまで安定的に成長し、辞める人も殆どいなかったのではないかと思う。今後、実際に集まって輪読会を行い議論することで、その「考え方」はより強固になっていくと思うし、「物心両面の充実」がより図られていくのではないかと期待できる。まずは本社でやってみて(先週やって案外面白かった)、今後東京や九州のメンバーとも合わせてやってみたいと思います。

たかが仕事と思うな、人生だと思え

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会社で働くというのは、非常に簡単であると同時に腹落ちすることが難しい行為だと思う。何故なら、そこに「お金」が絡んでいるから。
「何のために働くのか」と問われれば、多くの場合は「生活のための給与を得るため」「より豊かな生活のため」「家族を養うため」という金銭的理由、「他人に認められるため」という承認欲求があるのだとは思う。でも青臭いのかも知れないが、「会社とは何か?」と聞かれれば、僕は「社会への貢献(=他人のためになることを行う)を通して社員が成長でき満足できる、その仕組み」と答えたいと思う(やっとそう思える様になってきた)。
当社はいわゆる成果主義を採っていない。営業成績を上げれば給与(やインセンティブ)が上がる、下がればそれも下がるという「働き」と「お金」が連動することはしない。営業成績(つまり会社の利益)は会社という仕組みが回っていくのに必要な「道具」であるかも知れないが(道具は多い方が良い)、決して目的ではない。特にオーナー企業の中小企業は還元すべき株主が社長であるから、その社長が「会社が安定的に永続的に継続するため以外のお金は要らない」と言えば、社員がどうして利益自体を目的とする必要があるのだろう。きちんと社会から評価されることを効率良くやっていれば「儲かる」ことは当然だから、目的と手段を取り違えずに、事業の目的と意義を正面から実現目指してやっていけば良いと思う。
これは甘い様で厳しい考え方だとも思う。社会にプラスのことをする、そこに「だけど数字は上げているでしょ」という言い訳は通用しない。そして会社の目的の一つは「社員の成長と満足」だから、数字は上げたけど社員が不満足で人間的にも成長しないなら意味はない。一方、社会のためになっているから儲からなくても良い、ということにもならない。何故ならそれでは「社会のため」を永続的に続けることが出来ないから。
とりとめのない話だが、要は「たかが仕事と思うな、人生だと思え」ということである(余計に分からない?)。人生をお金で売るのか、それとも社会や自分の成長と満足のために仕事をするのかっていう話である。今日は盛和塾自主例会で、いつも親しくさせて貰っている中村さんの講演を聴いて、特にこう思いました。

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