社長ブログ

社長フィロソフィー日記

中途採用と仕事の説明

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最近よく、中途採用の面接をしているのだが、一つ気が付いたことがある。面接者にどんな仕事をどんな風にするのかを説明する際に、ついつい「周りを見てやるべきことを、自分の判断でやってくれれば良いです。毎日の活動は相談してくれても良いし、経費も常識的に使っても良い、自分の能力を最大限に活かして頑張ってください」とか言ってしまう。
そうすると大抵はポカンとされるか、なんとなく理解不能で固まってしまうことが多い。決められた目標とやり方の範囲内でどれだけ頑張れるか、能力を活かせるかが普通の会社だが、当社の様にニッチ分野で新規事業やR&Dを多くやっている企業では、「王道」とか「決まった道」はないのだから、「状況とその人のやる気と能力次第」で仕事内容や働き方が変わってくるのは仕方ない。
当社は定例会議もほとんど行わないし、毎日リアルタイムでスラックや自社SFAで情報共有し、情報共有している。別に書類も稟議書も要らないし、個人個人がチームの一員として、市場環境や取引先の動きを見ながら動けば良い。サッカーの試合でもルールはある程度あっても、「どんなプレーをすれば必ず点が取れるのか」なんて決まってないし、状況に応じてベストのプレーをしてくださいとしか言いようがないはずだ。
とは言え、やっぱり普通の会社の様に、「こんな風な業務範囲でこのくらい頑張ってください、評価基準は明確で、フィードバックも丁寧に行うのでキャリア的にも成長しますよ」くらいは言わないといけないのですかね。まあ言おうと思えば言えるけど。

危機感を持つということ

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今日は母校の水球部で生徒と顧問の先生方対象にミーティングを招集し、この4月からの新入部員勧誘方針について話し合った。僕はOB会の幹事長(兼ジェネラルマネージャー)を務めていて、日頃から現役選手の支援や大会の開催、遠征企画などを行なっている。
水球はいわば絶滅危惧種で、もともと超マイナースポーツでよほど支援を行い、選手を集め、必死で強化していかないと続けることができないスポーツだ。母校の茨木高校は戦前は競泳(=近代水泳発祥の地)、戦後は主に水球で名を馳せてきた。大阪屈指の進学校でこれだけ必死に体育会系の部活動が続いているのは、選手も頑張っているが卒業生たち、顧問の先生方、校長先生などの物心両面の支援があったからだと思う。
ところがこの数年、水泳部の中に競泳チームが出来て雲行きが怪しくなっている。結局水球は高校から始めるケースが多く(しかも練習も長くて厳しい)、慣れ親しんだ競泳があるならそっちでいいんじゃないの?僕は(私は)何も進学校に来てまで必死でスポーツするつもりもなかったのに、と、わざわざ水球を選ぶ生徒はかなりの「変人」だけとなり入部する部員も昨年は少なくなってしまった。この非常事態を受けて、OB会である水泳団の代表として、「今年の新入部員からは少なくとも三年生が引退するまでは水球は必須」としますという方針を打ち出したのだ。
「個人の意思を尊重して」というのは、一般論としても総論としても正しい。しかし結果として水球をやる生徒が減ってチームが成り立たないと伝統の水球活動は消滅する。水球チームが消滅すれば、水泳部に対する支援もなくなり、かなりの部分をOB会に頼っている部活動も(競泳も含めて)成り立たなくなる。いわば、「小善は大悪に似たり」を地で行くことになっている。
これは一重に「危機感がないから」ということが原因になっていると思う。「何だかんだ言ってこれまで水球は続いて来たし」「OB会が急に支援を打ち切る訳はないし」「ほっといても新入部員は入るし」、と言った様々な「危機感のなさ」が本当の危機を招いている。
今日僕が生徒に言ったのは、「水球の伝統を消滅させてしまってはいけない。個人の意思も大事だししかし伝統を守ることも大事だ。個人の自由VS伝統を守るということは白黒付けれる問題ではない。一年生の間は水球もしてください。その上でどうしてもなら競泳に選任するのは仕方ない。だけどこの高校に入ったからには水球は避けてもらっては困る」ということだ。生徒から「水球を強制するのか」(←強制はしない。競泳をやりたいという強い意志があれば個別に例外判断)、「水球は練習も厳しくてもっと効率的にやったらどうか」(←大きなお世話)、「水球部員が十分に確保出来たら競泳専任を勧誘しても良いのか」(←はいそうです。結果を出せば良いのです)、「自由じゃないですか?」(←自由は伝統と義務の上に成り立っている。伝統が失われればOB会の支援も打ち切られる)などなどたくさんの質問(クレーム)が出て、30分の予定の説明会は2時間にも渡ってしまった。面白いのは、女子は既に水球と競泳の両方をやっているということだ。水球の試合で数名は全国大会に行きながら、競泳の試合にも出ている。それはそれでうまくいっていて特に不満もないのに、新入生(今回既に在籍している新2年生、新3年生は対象にしていない)、「自由意志を尊重すべき」という一点で女子からの反発が大きかった。
今回のことに、(大昔の)卒業生の「横暴」と感じてしまう人がいるのは当然だが、ではそれで水球が滅びて良いのかというとそうではない。物事には色々な要素がある。「方針」・「原則と例外」、「個人の自由と伝統・学校の特色」があって、そして具体的に「誰々さん」という新入生の適性や希望という個別要因もある。その新入部員がいないところで抽象的に「個人の選択」と「クラブの方針」という原則論を戦わせても結論は出ない。結論は、様々な要素(と実際の勧誘部員数)を総合的に考えるということだと思う。
支援を先頭に立ってやっているのに恨まれ役になるのは割りが合わないことだ。女子部員には泣かれるし(発言していると感極まる)、男子生徒(競泳男子)には睨まれるし、水球男子には通じてるのか通じてないのか分からないし(水球男子の体たらくでこんな事態になったのに)、それでも「大善は非情に似たり」と思って損な役回りをやらして貰っている。
このことは会社経営も同じことだ。存亡の危機になって綺麗事は言ってられない。一番頑張ってリスクを背負って仕事をしているなら、会社の生き残りのためには横暴と思えることでも言い、顰蹙を買いながらも「何が大善か」という信念にしたがって行動すべきだと思う。
それにしても我ながら、「たかが」高校生の部活動にコミットしているものだと思う。他にも海外支援の公益社団法人NICCOでも似たような話もあるし、これは性分なのかなとは思う(別にそれでストレスもない)。ということで高校生に対しても「(僕が考えるところの)正論」で手加減は出来ない。ましてや大人達が集まる会社において、社会においても遠慮することもない。明日から第二四半期、気合いを入れて頑張っていこうと思います。

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