社長ブログ

社長フィロソフィー日記

ヘラクレスの選択

カテゴリー: カテゴリ未分類

ギリシア神話に、「ヘラクレスの選択」というものがあるらしい。一般には、「安全な道と苦難の道のふたつの道があった時に苦難の道を選ぶこと」を言う。安全な道の果てには刹那的な快楽しかなく、苦難の道の果てには美徳があり、このどちらを選ぶのかということが「ヘラクレスの選択」である。この話は16世紀のアンニーバレ・カラッチによる絵画(1596年)にもなっている。
この場合、(ヘラクレスが行った様に)敢えて厳しい道を選ぶことが大切だ。何故なら、 たとえ目的地が同じであったとしても、過程における困難がその人の人間性を成長させるからだ。この寓話は非常に深くて、人生の目的が楽をすることなのか、それとも人間性を成長させることなのかと言うことが問われている。
話は飛ぶのだけど、当社は仕組み作りに知恵を絞る経営を行っている。仕組み作りの経営は立案し仕組みを作り上げるところまでは難しいのだけど、一旦出来上がってしまったら、仕組みが勝手に回るから手間が掛からない。いわば作ってしまえばとても楽になるビジネスモデルである。
その仕組みの中で働いていると、特に後から入った人にとっては、まるで快適な乗り物に乗っている様に「楽な仕事」になってしまう。これは善かれ悪しかれで、楽であることは快適には違いないのだが、苦労をあまりせずに済むので人間が成長するかと言われれば疑問である。確かに、要らない苦労や失敗はしない方が良いに決まっているのだが、あまりにぬるま湯に浸かっていると人間が駄目になってしまわないかと心配になってくる。
そこで当社はたまにはしんどい経験もしなければと思って、半年に一回フルマラソンに挑戦しているのだが、肉体的に数時間辛い思いをしたところで、成長という面では効果は限られている。やっぱり生活の大部分を占める仕事で切磋琢磨されないと人間は成長しないのだ。
ということで当社も来年からは「ヘラクレスとの選択」でいきたいと思います。普通の会社の様に、月に一回くらいは会議をして目的の進捗状況を討議し、四半期に一回ずつくらいは本社に集まって詰めて話をしていきたいと思う。目標が達成されたら皆で喜び、達成出来なかったら肩身が狭いくらいのプレッシャーを感じながら、社会により貢献できる様に敢えて苦難の道を選ぶ様な経営をしていきたいと思います。考えてみれば、そんなに厳しくないな。

必要な努力の量は決まっている

カテゴリー: カテゴリ未分類

この日曜日は、恒例の那覇マラソン、しかも記念すべき、当社が参加してから節目の10年目の大会であった。
思い起こせば10年前、ふと思い立ってフルマラソンに挑戦し、毎年の恒例事業になってきた。良かったことと言えば、多くの社員がタバコを止め、メタボが多少改善され、なんと言っても毎年マラソンをするということで連帯感が出てきた。
で、10年目のマラソンの結果なのだが、記録の残ってい7年間の17回のタイムが新しい順で、
4:18:26、4:42:29、4:36:34、4:07:48、4:15:07、4:11:27、3:59:05、4:08:35、4:32:13、3:56:50、4:06:40、4:52:11、4:29:30、4:42:04、4:43:43、4:34:33、4:30:27、
となっている。調子が良い時で4時間弱、最も悪い時で(台風の時の徳島マラソン)の5時間弱ということで、歳は重ねてきたけれど、タイム的にはそれなりに底上げがなされた様な気がする。
で、分かったことは、「目標を達成するための努力の量は決まっている」ということだ。
練習を積んで事前に準備している時は、本番でそんなに頑張らなくても結果は出る。逆に練習が出来てないと、しわ寄せが一挙に来て、本番でいくら頑張って辛い思いをしても追いつかないことになる。つまり目標を達成するための努力の必要絶対量は決まっているということだ。
だからいくらある社員が、「本番で僕ほど長時間、辛い思いをした人はいないです、速い人は辛い思いはしているかも知れないけれど短時間で終わるから、遅い僕らの方が実は努力しているんです」と言ったところで全く説得力はない。それは事前に努力を積んでないから本番しんどいだけで(しかも取り返せない)、本番に楽をしてそれでも速い人は、誰にも負けない努力を積んでいるということなのだ。
仕事でも同じ話で、いくら締め切りに近づいて遅くまで頑張ったとしても、なんの自慢にもならない。日頃から準備を計画的にやっていれば、本番でジタバタしなくても辛い思いをしなくても、軽く目標は達成できるはずだと思う。
そう、目標達成に必要な努力の量は決まっている、いつどの様にやるかはその人次第で、優秀な人は日頃から他人から見えないところで地道にやっている、ただそれだけだと思います。

PAGE TOP