社長ブログ

社長フィロソフィー日記

全てはコミュニケーションの問題

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世の中の多くの課題は、情報を伝えるという「コミュニケーションの問題」が大きいと思う。人間は一人一人独自の世界観や人生観を持っていて、しかも興味も能力も異なる。例えばAという人がBという人に何かをお願いしようと思っても、「確実にBという人が納得して 行動に移してくれる」ために何時、どの様に情報を伝達すれば良いかはかなり高度な話ではある。

 世の中に溢れる商品やサービスにしても、消費者に「この商品(サービス)は良いものですよ」ということを伝えるためには相当の努力とコストが掛かる。人間は自分が理解したい様に理解する傾向があるから、科学的に客観的に正しいことを伝えてもその様に理解しれくれるとは限らない。正しいことを言っても伝わるとは限らない、「人を動かす」ということは情報の伝達=コミュニケーションの問題であって、かなり難しいことだと思う。だから逆に、何の関係もない(恐らくはその商品を使ったこともない)タレントがにっこり微笑んで商品を手にしているだけでその商品の「良さ」が伝わってしまう、政治課題にしても何となく「時代の雰囲気」で大切なことが決まってしまうということがままあることになる。

組織であれば全員が同じ方向のベクトルを持って全力で物事に取り組んでいれば、 その目的は必ず達成される。個々人が幾ら優秀でも、お互いの努力の方向が明後日の方を向いていれば「1引く1は0」みたいな話で組織としては成果が上がらない。従って「全員が同じベクトルを持つ」 ということが一番大事なのだけど、問題はその意識の共有の仕方である。年に一回社長が訓示を垂れても誰も覚えてないし(僕も覚えてない)、朝礼での社是の唱和的なものも抽象的過ぎて社員の意識をまとめるには不十分である。やはり日々起こっていること、今取り組んでいることをリアルタイムに情報共有し、喧々諤々やりあって初めて、同僚という他人が何を考えてどんな行動を取っているのかが分かり合ってくる。これが情報の共有化の課題であり、つまりはコミュニケーションの問題である。

当社は日報システムをフル活用しているが、これも定期的な会議では到底不十分であるからだ。 会議を開いたからと言って参加者の社員が聞く耳、意見をする積極性を持っているとは限らないし、何より手間とコストがかかる反面、週一回くらいでは全く不十分であるからだ。むしろその日あったことは全員が報告書を(ネット上で)共有し、直ちに議論を始めてその場で結論を出していく、その結果課題と意識が共有されてチームとして機能していくということが理想的である。

当社では日報報告を行い議論に参加するということがなければ「いないのと同じ」である。僕は毎日会社に出て社員の顔を見ることを絶対としていない反面、日報は数時間ごとにくまなく目を通して社員の動きを見守っている(コメントもする)。従って数日日報システムに登場しない社員は僕にとって「仕事をしていない」のと同じだから、罰金を取ってでも必ず情報共有させたいと思っている。

ということで、「何も言わなくても分かって貰っている」というのはその人の甘えで、これは会社に限らず(僕も含めて)人間関係、家族の間でもそうだと思います。 

上から下から右から左から、考える

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未知の分野の挑戦を行っているいる際に重要なことは、まず「そもそも」論、社会的意義のような大上段に構えた「上からの視点」と、逆に「では現場では結局どうなのか」という「下からの視点」の両方が必要だ。

ロジックがなくて自分本位の目の前のことだけに囚われてしまうと説得力に欠くし、何よりそこからの発展は期待できない。かと言って机上の空論になってしまうと実務が進まない。「上からの視点」と「下からの視点」は往々にして矛盾することがあるけれど、そこの折り合いをつけて実務を回しながら理想に近づけていくのがマネジメントだと言える。

一方、「そのことだけ」を上から下から考えては事業の発展はない。同時に「右から左から」見る能力が必要だ。「金槌は世の中のすべてが釘に見える」という諺があるように、自分の機能に囚われてしまうと本当はチャンスがあるのにチャンスを見ることができなくなってしまう。犯罪や倫理に反していない限りは、世の中のためになり自分ができそうなことであれば、やってみたことがなくてもチャレンジすべきだ。今は出来ないのだけど世の中のこういう技術を取り入れれば出来るかもしれないという自由な発想が大切だ。

僕はたまに「手品」をするらしい。ふと閃いて予想もしない展開になることが多いからだそうだが、それは物事を「上から下から、右から左から」考える習慣(癖、天邪鬼?)があるからだと思う。もちろんそういう傾向は世の中にためになるために使ってこそだが、何かのブレークスルーというものはこうした「手品師」から生まれるのだと思っています。 

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