社長ブログ

社長フィロソフィー日記

視野の広さ

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転職者を面談する時に、前の勤務先での経験を述べてくださいという質問に対する答えは面白い。
会社が何か成果をあげた時、例えばプロジェクトがうまくいったり、得意先を開拓できたり、商品開発が成功したことに対して、ある人は「自分が頑張ってなんとか成果をあげることができました」という人もいれば、事業としてうまくいかなかった時でも「個人としては貴重な経験を積むことができました」と説明する人もいる。一方で自分の話は一向に出てこず、「あのプロジェクトがうまくいったのはこの
人がこういう重要な役割を果たしたからです」、「会社として強みが組み合わさって大きな成果をあげれたと思います」、「仕組みが良かった」、「運が良かった」という人もいる。
確かに転職時の面談では自分の能力をアピールしないといけないから、前者の「自分目線の話」になるのは仕方ないことではある。しかし聞いている(経営者の)僕からすると、「この人は全体像がわかっているのか?」とも疑問が起こってくる。会社での仕事は一人ではできないから、そこには必ずサポートするメンバーや会社としての強みや仕組みがあるはずで、それに気づかず「自分の成果」と思っているところがおめでたい感じもする。大企業勤務の人たちにこういう人は多くいて、企業ブランドであったり何十年も続く先人の積み上げの恩恵を蒙っているだけなのに、「あれは俺がやった」は分かってないっぽくて格好が悪いと思う。一方後者の人は、謙遜しすぎということもあろうけど、自分の働きを客観的に見れて自分の立ち位置がわかっているのだろう。「視野が広い」、「目線が高い」ということでもあると思う。経営者の僕でさえ、会社がうまく回っているのは「自分のおかげ」とは思っていない。もちろん仕事に対する自尊心はあるしことさら卑下する必要はないとは思うけれど、それと実際に会社パフォーマンスへの貢献は別の話で、まず僕が社長になる前の歴史があって、かつ現在チームとしてうまく機能しかつ取引先などに支えられているという現実があるからこそ会社はうまくいっているのだ。
という訳で当社の社員は自己主張はそんなに強くない。むしろ「みなさんのお陰」的な人が殆どだと思う。まあそれが行き過ぎて「他人任せ」になりがちなのは困ったことではあるけれど。

代わりの効かない存在

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先日地元の商店街を歩いていたら、新しい飲食店が開店していた。それなりに流行っていて結構なことなんだけど、ふと、この店の場所に以前あったお店はなんだろう?と考えてしまった。いまだに思い出せないのだが、それだけ存在感のないお店だったということだ。

なくなっても思い出して貰えない存在は辛い。だからこそ閉店して新規の店にとって代わられたということだけど、会社もそうであってはいけない。なくなっても誰も困らない、代わりが幾らでもあるような存在であっては結局「社会的存在価値」がそれほどないってことだ。自分の飯の種に頑張っているだけであって(それはそれで必要なことだが)、顧客からするとどうしてもその会社でなければならないことではない。

「御社があって当社が成り立っている」 、「いつも本当に世話になっています」、「そのサービス、製品はなくさないでください」とまで言って貰える様な存在を目指しそうなってこそ、会社の意義はあるだろうし、社員の誇りにもなる。それには本質的に優れたサービスであること、顧客から評価されること、そして代替が効かない独自のものであることが必要だ。そうなると利益も後からついてくる。当社も(そして自分自身も)そういう存在になりたいと思います。

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