社長ブログ

社長フィロソフィー日記

仕事のやり方

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仕事が出来るっていうのは、多分に「状況把握とその後の展開予想」がしっかり出来て、頭に浮かんだストーリーに従って、今何をすべきかが分かることを言うのだと思う。よく「一を言って十を分かる」という言葉があるけれど、ある課題や宿題が出た時に、一瞬にして筋道が分かって「筋の良い」仕事の段取りが出来る人が「仕事が出来る人」ということなのだと思う。
逆に良くないのは、そんなことをすれば(言えば)ああなってこうなって、結局その努力が無駄に終わることが目に見えているどころか、他人(他社)までに迷惑をかけてしまうことである。それが善意だけに始末が悪くて、良かれと思ってやったことが自分の成果にもならないどころか、他の人まで巻き込んで、結局「あいつの話しは乗ると損」みたいな評判になってしまうことが一番良くない。下手に説得力があって、多少の能力があると他人は騙されるから(騙す方も騙しているつもりはない)、結局大騒ぎして何にも実績が出ないという展開はやってはならないと思う。
仕事が出来る人は、状況を正しく理解し、それぞれの利害関係者、最終的な顧客の立場を理解して皆に良い結果が出る様に調整して、周りの人のニーズも同時に満たす様な解決策を瞬時に考え、何も無駄な努力が発生しない様に人々に仕事を振り分け、効率的に物事を進め、最後は利害関係者のメリットになり、自分もしっかり実績を出す様な人である。要領が良いと同時に、結局は周りの人も幸せになり、社会のためになる訳だから、仕事が出来るというのは善、仕事ができない人はただの迷惑(=悪)ということだと思う。
当社は当然社会に対して善をなしたい。従って、正しく筋の良い努力をして、周りの人たち、会社を幸せにしていきたいと思います。

「立場」というもの

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最近「立場」という言葉をよく聞く。「私の立場からしてそれはできない」、「私の立場というものもありますから」、「私の組織の立場からしては」などと立場、立場と話に出てくる。「立場」とは社会や組織におけるその人の位置づけ、その人の機能を示すものである一方、自由な人間としての能力、組織の行動範囲を制約するものでもある。「立場」と呼ばれるものを離れて「人間として何が正しいか」を考えてみれば容易に分かる話しであっても、「立場」が絡むと途端にややこしくなる、時には人間として正しくないことも(その組織では)正当化されてしまう恐ろしいものでもある。本来は、何か課題があったり問題があれば、関係者が集まって解決のために何をすればいいかを考えれば良いだけなのに、「立場」を考慮し始めると、それぞれの制約事項が多くなり、パズルの様にうまく組み合わせないと出来るものも出来なくなってしまう(ことが世の中にはむしろ多い)。「ご趣旨は分かりますが、私の立場からするとOKとは言えません」、「本来は当社のトップが判断しないといけないのですが現状では難しい」、「うちの立場からすればそれは無理です」とかいう言葉は、物事を停滞させ進歩を阻害する「魔法の言葉」(勿論悪魔)であって、「立場」と口にした途端に思考停止に陥る脳内麻酔薬みたいなものだ。
当社の方針は全く逆で、立場なんて気にしないし、社内でも役職名さえ勝手に考えて貰っている(この間も名刺にどう肩書きを書くかを決めていた)。役割はその場その場で得意技と状況を見て決めれば良いし、外との関係においても、他の組織がやらない様なことをやると言う意味では、立場になんて拘っていない。だから薬剤メーカー的なことをやったり、組合本部、商社、ソフトウェア開発、セミナー活動、ボランティアなど、事業は何でもござれで一体何屋さんか分からないほどである。
中小企業が「立場」に拘っていればその発展はない、ましてや元々万能でもさほど優秀でもない人たちが「立場」という制約条件を自らに課して思考停止に陥るなんて、人間としての成長も止まってしまうのではないか。「立場」を離れて「人間として何が正しいのか」を考えた上で出た結論を、今度は「立場」に戻って「立場」を利用して実現出来ないかを考えるのが、本来の姿だと思う。

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