まずは本番
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また高校の水球練習を見に行って感じたこと。競泳の練習をしている時にはタイムを切られて必死になって追い込まれている感じはするのだが(合宿だと100メートル100本とかやる)、水球の練習に移った途端になんだかのんびりムードが漂ってしまう。結果として、泳げるはずなのだが水球としてはとても弱いチームになってしまっている。勿論競泳もそれなりだから(水球部だから)、練習はそれなりにしんどいのに弱いという何とも中途半端で不幸な状況になってしまっている。
これは水球の練習のやり方が間違っているからだと思う。競泳の練習と同様、ボールを持った選手たちを如何に追い込むかが課題になる。じっとしてシュート練習をするのではなくて、30メートルコートを往復させてからシュートを打たせるとか、実際のゲームに即した場面を作り上げて限界のところで練習しないと意味がない。しんどい試合を意識して、また全国大会で良い成績を収めることが目的なら、例えば準決勝での試合のレベルを意識して練習するべきである。泳力、ゲームプラン、力技のどれをとっても鍛え抜かれたチームが勝ち上がってくるのだから、それらと伍して戦えるための練習を想定すべきなのだ。
これは何でも同じで、マラソンに完走するなら一番最初にすべきは、マラソンに実際に出ることである。何キロしか走れなかったという実力と、42.195キロ完走との差が分かる。富士山に登りたいなら途中まででも良いから登ること。そうすればどこまで登れたか、どこが今の実力であるかが思い知らされるから、逆算してこれからどんな練習や準備をしなければならないかが分かる。
楽な練習をしていると適度に疲れるからやった気になってしまうが、練習は本番のシュミレーションじゃなくては意味がなくて、練習のための練習や、本番ではあり得ない楽なシチュエーション、本番では全く使えない技術を磨いても仕方ない。マラソンもいくら歩行から始めると言っても、歩いてばかりではいつまで経ってもフルマラソンを走れる様にはならない。いつか5キロ走り、10キロ走り、辛い思いもしてハーフを走ってみて、それでやっとフルマラソンを走りきれるのだと思う。
仕事も同様だ。幾ら研修したって、本番さながらの研修じゃないと意味がない。また仕事では即本番という場面が少なくないが、交渉相手を前に自力で厳しい場面を乗り越えてこそ実力が付くのであって、上役の陰に隠れていたり、自分の仕事だけやれば良いという事なかれ主義では修羅場をくぐり抜けるということにならず、いつまで経っても実力が付かない。
という訳で、まずは本番、力のなさを思い知ってそのギャップを埋めるべく努力するというアプローチが良いかと思います。