社長ブログ

社長フィロソフィー日記

決めない会議

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当社の場合は通常とはおそらく少し変わっていて、たまにやる会議では「決める」ことだけが目的ではないことが多い。普通は「貴重な時間を皆が割いているのだから、結論の出ない会議なんてやる意味はない」とか、「如何に短時間に多くの案件を手際良く決定するか」が議論されることが多いと思う。
当社の場合は、毎日の日報システムの中で情報を共有し、リアルタイムに複数の人がコメントし、そして同時にそのやり取りを見ている(多くの場合自分で質問したりコメントしたりしている)僕自身が決定したりするから、その場で物事を決めてしまうことが通常である。逆にウェブ上では決めきれなかったり、曖昧な意見をむしろ集めないといけない場合に会議を招集して、だらだらと井戸端会議的に話をすることにしている。そこで決めても良いし、決めずに宿題にしておいて、後でまた日報システムで議論を追っかけて決めていくこともある。つまり日々リアルタイムで意思決定し、たまにやる会議ではむしろ「決めない」ことで良しとする仕組みである。
別にこれは戦略的に考えてやっているのではない。やり易い様に働き易い様に考えていたら、自然とそうなっているだけである。会議が懐かしくなって普通の会社並みにやってみたくもなるが、実際やるとだらだらしてて効果がないなあと思えることもあるので、そうすると暫くは(飽きて)会議も招集せずに日報だけでやるという周期もある。
という訳で、いい加減な様で理に適っている?、当社の仕組みのご紹介でした。まあいい加減なだけですかね。

官僚主義

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「官僚主義」や「お役所仕事」という言葉は官僚の方や役所で働く人にとってはずいぶんな表現だと思うけど、本来の趣旨を深く考えることなく前例に従うだけであったり、リスクをリスクを感じられなかったり、逆にチャンスをチャンスと捉えられない「固い頭」は、思考停止としてうおくないんじゃないか良いと思う。
「規則でこうなっていますから」という理屈も、誰が何のために決めた規則でどこまで強制力があるのか、規則のそもそもの主旨は何で他のもっと良い方法はないのか(その検討すら許されないのか)、「前例はこうなっていますから」というのも同じで、前例の前提条件や環境はどのようなもので、現在は事情が変わっていないのか、中身をしっかり吟味して考える必要がある。要するにしっかり考えようってことです。
会社組織はそもそも誰に言われて作られたものではなく、資本主義社会において誰かが思いつきや志しを持ってわざわざ作られた仕組みのことである。どんなサービスを提供しても良いし、その領域に留まっておく必然性もない。自由に考えて自由に世の中にその存在意義を問えば良い。受け入れられれば会社は発展するし、そうでなければ消滅するだけの話である。
同様に、「決める人=責任者がいない会議」、「そもそも決めることが目的でない会議」は全く無駄だと思える。結論を出さない会議って殆ど単語としても矛盾していて、会社がそもそも何かの目的をもって設立された組織であることを考えると、「決めない」ことは会社としての活動ではない(井戸端会議?)。
目的や方法論を常にゼロベースで考えるというのは、受験勉強に明け暮れてきた人たちには結構難しいことでもある。人から与えられた受験問題に対して、これまた人から教えてもらった解答方法を深く考えずに受け入れることだけに専念すればするほど、上がっていく成績と反比例して社会で本来使える能力は失われていくという悲劇(喜劇?)が生じていると思う。真面目な子どもが一番使えないという、おかしな現象もあるのではないかと感じる。
当社はいつも、「そもそも?」とか「こんなんどう?」ということばかり考えている。もちろん社内でも思いつきのアイデアを思いっきり否定されることもあるのだが(大体は僕自身)、それはそれとしてゼロベースで世の中の課題を直面し、自社の出来ることを探し出し、ユニークな方法でそれを解決することが仕事の醍醐味じゃないかと思う。これからもめげることなく、自由に(ちょっとおちゃらけているかもしれないけど)、頑張っていきたいと思います。

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