社長ブログ

社長フィロソフィー日記

厳しいところを「なあなあ」にする危険

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サッカーで強豪のガンバ大阪がJ2に降格してしまったが、選手の一人がインタビューに答えた内容が示唆深い。
「磐田戦の最初のサイドからの失点もGKとDFがしっかりコミュニケーションを取れば何も問題はなかったと思うし、あそこでサイドがもう1歩詰めていればクロスも防げたかもしれない。そういう厳しいところをなぁなぁにしたのが積み重なって失点になっていった。ガンバの選手はいい意味で大人で自立しているけど、そういう部分は全員で突き詰めて、厳しく行く必要があったと思う」
一人一人の能力の高い選手の集まりが、チームとなった時に弱くなってしまうのはいつも同じ理由である。危機感のなさ、最後の厳しいところをなあなあにしてしまう意識の低さ、最後の一歩を踏み出して足を伸ばす執念、こういうものが少しでも足りなくなった時に、組織は個人の集まりよりも弱くなってしまう。
思えば日本航空の破綻と再生も、全く同じストーリーである。高学歴の能力の高い人たちの集まりが、大企業倒産というとんでもない事態を招いてしまう。勿論日本航空の社員だけではない。国交省も政治家も、日本航空が潰れるはずがないと都合の良い様に利用し、誰も当事者意識を持たないままに破綻してしまう。稲盛さんが会長になり、再生の武器としたのが「フィロソフィー」と「アメーバ会計」(だけ)である。どちらも人間の能力を変えるものではない、社員の考え方と経営に対する見方を変えるだけの道具である。
一人一人の社員が意識を変えたことによって、それは経営破綻という劇薬があって初めて可能になったことかも知れないが、初めて当事者意識と危機感をもった社員の努力によって、同社は劇的な復活劇を遂げるのである。
危機感とは、最後の最後のところまで気を抜かず、何も「なあなあ」にしない努力、最後のところで足を一歩伸ばす執念のことだろうと思う。結局は意識の問題で、その差が、チームとしての強さを決めるのだと思う。

影響力

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最近、他人への影響力を持つってどういうことだろうと考えることがある。勿論、影響力には良いものと悪いものがあるのだけど、人はどういった時に「動かされる」のだろうか。
僕が尊敬している稲盛さんは抜群に「影響力」を持つ人に違いない。多分ヒントになると思うけど、彼の創業時の話しが面白い。創業して間もなく、余りの激務に堪え兼ねた社員が一致団結して、まだ若かりし経営者だった稲盛さんに詰め寄ったらしい。こんなに働いているのだから、今後の身分、給料を保証して欲しいと。
稲盛さんは創業時、会社の目的として「稲盛和夫(=自分)の技術を世に問うこと」としていた。自分の力を試したくて努めていた会社を辞めて創業したのに、そしてまだ自分自身食うや食わずで自分の親兄弟の面倒を見るにも至っていない。それを自分の会社の社員だからといって、血の繋がりも縁もない人たちの生活をどうして自分が見なければならないのか、と思ったらしい。そして経営者になるということは、「自分のために働いてくれ」というのでは駄目で、まさしく見ず知らずの他人の人生を抱え、その人たちの物心両面の充実に責任を取ることだと観念したという。
そして稲盛さんは本当に、自分のことは放っておいて社員の幸福のために一生懸命働いたからこそ、社員たちも意気に感じて負けずと働いたのだと思う。そしてそれが今日の成功に繋がったのは事実が証明することでもある。日本航空の再生事業も、稲盛さんが無給で一生懸命奉仕の精神で頑張ったからこそ、能力があったのに魂が籠っていなかった同社の社員もやっと死ぬ気で頑張る気になったのだと思う。これが稲盛さんの「影響力」で、それは多分に「私心がない、謙虚で驕らない一生懸命な姿」に心が打たれて、この人と一緒に頑張って行こうと周りの人は思ったに違いない。私心はすぐに見透かされる。だから本音で語って信じてもらうしかない。
影響力を及ぼすということは、自分のために他人を動かそうという意図や戦略、権力意識では決して実現することが出来ない。「リーダーになる」と同じ話しだと思うけど、「無私」でないと他人はついて来ないものだということだ。
影響力=権力、そしてそれには無私の心が必要だとは、なんと難しいことだろう。だから常に反省し、謙虚にして驕らず、誰にも負けない努力をする、そしてそれは社員のため、周りの人たちのため、世の中のためじゃないといけないのだ。

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